◆ねむの木教諭「遺志を継ぐ」
 最期まで、子どもたちのために力を尽くした。俳優の宮城まり子さんが設立した養護施設「ねむの木学園」(掛川市)の教諭は、間近で見てきた「遺志」を継ぐことを誓った。
 「旅立つ直前まで、子どもたちのことを気にかけていた。この日がいつか来ると思っていたが…」。宮城さんとともに約四十年間、学園で子どもたちを指導してきた梅津健一教諭(61)は無念そうに話した。
 梅津さんによると、宮城さんは数年前から体力の衰えが目立ち、今年二月三日に体調を崩して掛川市内の病院に入院。転院した都内の病床では、おぼろげな意識の中で「あの子はどうしてる?」などと、常に子どもたちを気遣っていた。八月に静岡市で予定した学園コンサートには「絶対に子どもたちと舞台に立ちたい」と意欲を燃やしていたという。
 宮城さんが学園を設立したのは、四十一歳の時だった。現在は国と県の補助金で運営し、身体や知的障害がある三〜八十歳の園生七十人が、八十人ほどの教員や支援員に見守られ共同生活を送る。
 過去にはトラブルに巻き込まれたことも。一一年、宮城さんの口座から現金をだまし取ったとして元職員ら二人が逮捕された。宮城さんは「悔しくて立てなくなりましたが、だんだんと不思議なことに、(元職員らが)今どんな思いでいるだろうかと、かわいそうになりました」と話した。
 宮城さんが亡くなったことは二十一日夕、学園の子どもたちに「まり子おかあさんが、お空に向かってお出かけになりました」と伝えられた。静かに聞く子もいれば、パニックを起こす子もいて、梅津さんはつらい気持ちになったという。
 宮城さんの最期の言葉は「子どもたちのことは頼む」だった。梅津さんは「新しい教育を実践した遺志を引き継ぎたい」と語った。
 学園では二十七日に関係者のみの「お別れ会」を開き、一般向けには献花台を設け、弔問を受け付ける。

(夏目貴史、酒井大二郎、佐野太郎)
◆語録
 すてきな愛の人生−。宮城さんは自らの生涯をそう表現するように、数々の印象的な言葉を残した。
 二〇〇〇年十二月十六日 本紙「この人」欄 「(ねむの木学園という)施設を充実させるには、百七十歳まで生きなきゃ」
 〇五年十一月四日 中日レディーズサロンの講演 「私は父母に愛され、愛して、次に吉行淳之介を愛した。その次にねむの木の子どもたちを今、全身で愛している。なんてすてきな愛の人生でしょう」
 〇八年七月五日 学園設立の契機になったショーでの出来事をつづった本紙連載「この道」 「(両足の不自由な子どもが客席から舞台に上がり、一緒に歌を歌うという)行動が、素晴らしく、美しく、感動を拍手に変えてくださった」
 一二年十一月三日 秋の叙勲受章者を紹介する本紙記事 「子どもたちがすてきな感覚を持っているのを発見したときが一番うれしい」
 一七年一月一日 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら四十五人が殺傷された事件を扱った本紙記事 「(被告の)退院時の病状はどうだったのでしょうか。一人一人に寄り添い、状況を見極めてあげる福祉制度があれば、違ったのではないかと思う」
 一八年十一月二十七日 天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)の学園訪問の取材 「二度も来ていただいて夢のよう。うまく話せない子たちが笑顔を広げられる家であり、学校であり続けたい」