この記事は『ヨーロッパ・ヒルクライム選手権を席巻したポルシェ3台が再び!』の続きです。

1970年代、成功を望むヒルクライムのプライベートドライバーなら、誰もが911を欲しがった。FIAは新たに、GTレースとヒルクライムの両方に適用するグループ4のルールを設定。ポルシェはこれに合わせて、燃料噴射装置と幅広タイヤを備え、出力270bhpを誇る軽量な"S"を21台製造した。ガルフブルーの911はその13台目で、シャシーナンバーは0987。これを購入したドイツ人のウィリー・バーテルズは、前年に2.4 911Sで獲得したGTクラスのタイトル防衛を目指していた。1972年シーズンはこのS/Tで何度も表彰台に上り、終盤には2勝を挙げたものの、同じポルシェを駆るアントン・フィッシュハーバーには届かず、王座を奪われた。
 
翌年、911 S/Tはまずアメリカに運ばれ、ヨースト・レーシングからデイトナ24時間レースに出走。ゼップ・グレガー、クルト・ヒルト、ディーター・シュミットのドライブで総合9位という好成績を収めた(ただし、優勝したブルモスのRSRとは100 周差だった)。再びヨーロッパに戻ると1973年のEHCに参戦し、バーテルズのドライブで開幕3連勝を飾る。しかし、バーテルズが新型のRSに乗り換えたため、このS/Tの競技キャリアはシーズン半ばで幕を閉じた。
 


それから40年間は数人のオーナーが長期間所有。2000年代初頭に、ポルシェのレストア・スペシャリストであるマルコ・リンケの元で、フルリビルドされた。長年、クラシックイベントにもほとんど姿を現さなかったが、2016年にサザビーズのオークションに出品された。マッチングナンバー車であり、優勝歴もあることから、ヒルクライムマシンの代表として、ポルシェクラシックがコレクションに迎え入れたのである。
 
素晴らしいレカロのドライバーズシートに腰を下ろし、4点式ハーネスを締める。助手席に座るのは、故ゲルハルト・ミッターの息子だ。私たちはカフェや噴水を横目に、ザルツブルクの旧市街をゆっくり抜けていった。スタートを告げるオーストリア国旗が振られ、レッドブルのエアアーチをくぐって、観衆が並ぶコースを走り始める。
 
私は大規模なヒストリックレースに出走した経験が何度かある。だから、目の肥えた観衆の前を走る興奮も、友人たちが自分の姿をライブ配信で見ていることも知っている。その上、今回はポルシェ所有のコレクションをドライブしているのだから、ポルシェのドライバーとしてブランドを背負っていることになる。こうした舞台で、これほどのヒストリックカーのステアリングを握る栄誉を噛みしめると同時に、このクルマの最高の姿を見せなければ、という責任も感じた。無論、コースの両側を観衆が固めているから、スピードを誇示するわけにはいかない。だが、エンジンノイズは別だ。 

前方では、元EHCチャンピオンで917のワークスドライバーだったルディ・リンスが、車高の低い909で注目を浴びている。フラット8のサウンドは、さぞ派手に違いない。すぐ前の356カレラ・アバルトは、耳をつんざくセブリング仕様のエグゾーストを装着している。このS/Tも、チューンアップしたフラット6と競技用エグゾーストを備えるから、サウンドは格別だ。それを自分の右足が生み出すのだから、なおさらである。私はハプスブルク時代の建物に反響する音を堪能した。
 
ところが、最初のシケインの手前で3速に入れ損ねた。想像以上にシフトゲートが遠かったのだ(これほど古い左ハンドルの911をドライブするのは初めてなのだから仕方がない)。目の前にいた隊列は曲がり角の向こうに消えている。私は2速に戻すと、このときとばかりに思い切り踏み込んだ。濡れた冷たいアスファルトで、セミスリックタイヤがグリップの限界に近づき、バンプを乗り越える際に回転がピークに達した。私はステアリングを握ってこれほどの快感を味わったことがない。2.5kmのコースを3周する間に、忘れ難い思い出ができた。


 
パレード最大のスターは何といっても909ベルクスパイダーだった。ここガイスベルクでの最後のレースから50年がたつ。今回ステアリングを握ったルディ・リンスは、笑顔を絶やさない親しみやすい人物だ。そのキャリアは叩き上げで、最初は使い古しの356を直してヒルクライムに参戦し、やがてワークスドライバーにまで上りつめて、ル・マンで3位にもなった。これほどのキャリアを超える経験は到底あり得ないが、当時乗ることのなかったこのヒルクライムマシンのドライブは心から楽しんだようだ。
 
1971年に引退したリンスは、50年間に数えるほどしかデモ走行をしたことがない。満面の笑みで909を降りると、こう言った。「私のエンジン音が聞こえたかい? ワオ! 最高だ! こういうクルマをまたドライブできるとは想像もしていなかったよ。もちろん単なるデモ走行だ。攻めた走りではないから、きちんとした比較はできない。この手のクルマは限界まで攻めたときが特別なのさ。そうして初めて、数kg軽い分でコンマ数秒削ることができたんだ」


 
走行はしなかったが、ゲルハルト・ミッターが1968、69年にEHCタイトルを連覇した910/8ベルクスパイダーも展示された。最後のレースのあとツッフェンハウゼンの倉庫に仕舞われ、50年間手付かずだったマシンが、今回初めて公開されたのだ。ポルシェは特別なゲストも招待していた。86歳になるエバーハルト・マーレは、1966年EHCのGTクラス・チャンピオンで、911で最初期にタイトルを獲得したひとりだ。ポルシェのレース監督だったフシュケ・フォン・ハンシュタインから、パワーで上回るフェラーリ275 GTBやシェルビーには太刀打ちできないと宣告されていたにもかかわらずである。
 
ゲルハルト・ミッターは1969年にニュルブルクリンクでBMWのF2マシンを走行中に事故死した。その功績を称えて、今回は息子のゲルハルト・ミッターJr.が招待され、太陽の下で、かつての姿そのままの父のマシンと再会したわけだ。こうした人々から直接話を聞けたことも、911 S/Tのドライブに勝るとも劣らない幸運だった。
 
ポルシェはこの場所で新モデルの981ベルクスパイダーを世界に初公開した。オリジナルほど古くはないし空冷式でもないが、名車であるのは間違いない。レースに進出してから最初の20年間、ポルシェはライバルよりはるかに小型だった。したがってエンジニアはパワーウエイトレシオを最大限に高めることを目指した。910/8と909のベルクスパイダーは、まさにその極致だ。それから半世紀のちに、ポルシェは再び981で、エンジニアの有能さを世界に知らしめたのである。