保育所は人手不足。待機を続けた8か月

この連載では、人口400人ほどの岩見沢市の集落・美流渡(みると)や周辺の人々とその活動を中心に執筆してきた。取材記事が多めになっているのは、なんとなく自分のことばかり書くのも気が引けるし、外に目を向ければネタが豊富だからなのだが、今回、久しぶりに仕事と子育てについて振り返ってみようと思う。

そんな気持ちになったのは、昨年12月に末娘が保育所に通うようになったからだ。本当は昨年春から預かってもらおうと考えていたのだが、徒歩で連れて行ける地元の小さな保育所は人手不足。現状の保育士の数では、1〜2歳児の定員はいっぱい。新しい保育士さんが見つかるまで、やむなく待機することとなった。

例年に比べて今年は雪が本当に少ないけれど、それでも地面は真っ白。雪で絵を描くと娘は喜ぶ。

例年に比べて今年は雪が本当に少ないけれど、それでも地面は真っ白。雪で絵を描くと娘は喜ぶ。

もちろん都市部と違って車で10〜20分ほどのまちなかには保育所の空きはある。ただ、わが家の場合、長男はスクールバスで小学校に通っており、週2回は親のお迎えも必要。長女は幼稚園。園バスがあるもののバス停は家から遠いため、車で送っていかなければならない。

こうした状況で、仮に末娘をまちなかの保育所に入れるとなると、送迎のスケジュール調整がかなり大変になる。しかもわたしは運転が苦手中の苦手(にもかかわらず不便な立地の暮らしを選んだのは自分)なので、送迎は夫が担当。そんなこともあり、待機しか選択肢がなかったのだ。

同時に、私は育児のために仕事を休むという考えを持っていなかった。こんな僻地にいるわたしに仕事を発注してくれる仲間の依頼を断ることなんてできなかったし、なにより仕事をしているときが、一番ワクワクするからだ。

家の裏はミニゲレンデ。スキーやソリ滑りが楽しめる。田舎だからこその贅沢が味わえるが、子どもたちの送迎は都会に住んでいたときよりも大変だ。

家の裏はミニゲレンデ。スキーやソリ滑りが楽しめる。田舎だからこその贅沢が味わえるが、子どもたちの送迎は都会に住んでいたときよりも大変だ。

子育ても3人目ともなればベテランの域だし、仕事があっても子どもも見られるんじゃないかと、わたしは当初、楽観的だった。

リビングにある食器棚の上にパソコンを置いて、立って仕事。幸いなことに末娘は独立心が強く、ひとり遊びもできるし、ごはんも自分で食べてくれる。おっぱいをあげれば2時間ほど眠ってくれることもあり、短い時間をつなぎながら、原稿を執筆したり、書籍や雑誌の編集をこなしてきた。

リビングで立ったまま仕事。食事のしたくをしたり、子どもの相手をしたりしながら、断続的に編集の作業を続ける。(撮影:津留崎徹花)

リビングで立ったまま仕事。食事のしたくをしたり、子どもの相手をしたりしながら、断続的に編集の作業を続ける。(撮影:津留崎徹花)

ただ、昨年の夏頃になると、2歳になった末娘は次第に活発になってきた。ずっと家にいることに飽きたり、絵本を読んでほしいとせがんだりするようになり、だんだんと仕事の時間は圧縮されていった。

同時にわたしは、とてもイライラするようになった。原稿を書こうと気持ちを向けた瞬間に、キーを打ち込もうとする手を娘が払ったりすることもしばしばで、つい声を荒げてしまうこともあった。

また、夫に子育てよりも仕事を優先しているのではないかと諭されると言い返してしまって、口論も絶えなかった(この時点では、そろそろ更年期の症状が出ているのではないかと疑っていたのだが……)。

そんな日々を送っていたのだが、待機を続けて8か月、ついに保育士さんが見つかったという連絡が保育所から舞い込んだ。連絡をもらって1か月のあいだに、面接をして、入所の手続きをして、いよいよ初登園。末娘は、躊躇することなく堂々と保育所へと入っていった。

娘を保育所に送るときに便利なのはソリ。

娘を保育所に送るときに便利なのはソリ。

2年半ぶりのひとりを体験して

保育所に見送ってからわたしは、いつものように仕事を始めたのだが、自分の変化にとても驚いた。

まず、無性にのどが渇いて、取り憑かれたように水を飲んだ。普段の倍以上、3リットルくらい飲み続け、そしてトイレに何度も行った。そこではたと気がついた。末娘と一緒に仕事をしているとき、トイレに行くのを無意識で控えていたことを。

末娘が寝ているとき、トイレに立ってドアを開閉すると、その雰囲気で目が覚めてしまうことがある。起きているときもトイレに一緒に行きたがり、抱っこしながらも大変なので、極力動かないようにしていたのだ。

2日目になって、今度は部屋にゴミが落ちていること、机が曲がっていることに気がついた。それまで、わたしは娘を見ることと仕事をすることにしか意識がいっていなくて、まわりがまったく見えていなかったのだ。この日、わたしは掃除をし、水ではなくお茶を入れて飲むことができた。

3日目になって、仕事中に子どもたちのクリスマスプレゼントを注文することができた。普段なら、前日に慌てて買っていたのだが、少しだけ先のことを考えられるようになっていた。

4日目になって、わたしは札幌に取材があって出かけた。これまでは、いつでもどこでも末娘と一緒。取材にも連れて行き、取材相手や同行した仕事仲間にあやしてもらったりしていたのだが、今回はまったくひとり。

アポイントの時間よりも3時間ほど早く札幌に着いたので、昨年から買おうと思って果たせていなかった冬靴を買い、そのあと大型書店に足を運び、棚のひとつひとつに目をやりながら、お目当ての本を探すということができた。

そして、お気に入りのパン屋さんでランチをとった。席に座ってパンをかじった瞬間、涙がボロボロとこぼれてきた。昼食どきで混雑している店内だったが、涙を止めることはできなかった。パンの味わいに自分が集中できていることに胸が震えた。

これまで気持ちの半分は子どもに向けていて、その半分でいろいろなことをこなしてきたことが、このときハッキリとわかったのだった。

札幌での講演会。娘は抱っこ紐の中でぐっすり眠っている。(撮影:佐藤優子)

札幌での講演会。娘は抱っこ紐の中でぐっすり眠っている。(撮影:佐藤優子)

思えば末娘と半日以上離れたことは、これまで片手で数えられるくらいしかなかった。夫は上のふたりを見ることで精一杯だったため、いつもわたしは末娘と一緒。どうしても子ども連れでは難しい仕事のときだけ、夫に肩代わりしてもらっていたため、ひとりでパンを味わったのはおそらく2年半ぶりだったのではないかと思う。

ひとつのことに集中して、それを心ゆくまで味わうという、忘れていた感覚が蘇ってきたように感じられた。脳みそに血が通うような不思議な感覚だった。

ランチを終えて外に出ると、札幌駅の待ち合わせスポットである安田侃さんの彫刻『妙夢』があった。いつも見てきたつもりだったが、その美しさがこのとき初めてわかったような気がした。丸みのあるフォルムだと思っていたのだが、ある角度から見るとスーッと薄くシャープな面があり、それがただならぬ気配をつくっているように感じられたのだった。

札幌駅構内にある彫刻家・安田侃さんの作品『妙夢』。駅に降り立つといつも見かけていたのだが、ひとりになって初めて作品をじっくり観察することができた。

札幌駅構内にある彫刻家・安田侃さんの作品『妙夢』。駅に降り立つといつも見かけていたのだが、ひとりになって初めて作品をじっくり観察することができた。

そして、安田さんの彫刻を見ながら、わたしは「ここがスタート地点だ」と思った。いままで、執筆をしたり本をつくったり、心を込めてきたつもりではあったけれど、末娘が保育所という、母と一緒ではない自分の世界を持ってくれるようになって、わたしも全意識を傾けて創作ができると感じられた。

ひとりの時間が持てるようになり、風景の写真も何枚も撮るようになった。

ひとりの時間が持てるようになり、風景の写真も何枚も撮るようになった。

末娘が保育所に行ってからの数日は、激動の変化が自分を襲った。いま、それもだいぶ落ち着いてきて、2か月が経とうとしている。末娘も保育所に慣れてきているし、前ほどわたしはイライラしなくなった。そして、不思議な巡り合わせなのだが、この変化と呼応するように、新しいプロジェクトも動き出している。子育て混沌期を超えて、また新たな人生のタームに入ったのかもしれない。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/