「蔦文也外伝31」もう、甲子園まで行けん(1)

「蔦文也外伝31」もう、甲子園まで行けん(1)

 【蔦文也外伝31】

 監督を勇退後も練習や試合に顔を出していた蔦が、体調を崩したのは、70歳のころだった。最初に診察を受けた病院で「胃がん」と診断された蔦は、セカンドオピニオンを求めた。しかし、結果は同じだった。病院から帰る車の中。長男の泰見は、父の様子が忘れられない。「かなりショックだったようで、助手席で黙ってうなだれていました」

 徳島を離れ、香川県高松市の中央病院で、胃の4分の3を切除する大手術を受けた。年末から春までの長い入院生活の後に退院。体調は戻ったが、人生の友であった酒と実家の家業でもあったたばこはもうやめた。

 現役時代、一度も医者にかかったことがないのが自慢だった。しかし、50歳前後のころに一度胃の検査を勧められ、そのまま放っていたことがあったという。

 甲子園に初出場したのが47歳。「さわやかイレブン」が50歳。まさに、蔦野球が開花しようとしていた時期だ。元来の繊細な性格がもたらすストレスが体に影響したかもしれない。浴びるように飲んだ酒も一因であっただろう。

 しかし、その時に検査を受けた結果次第で、蔦は休んでいただろうか。胃薬に頼る生活をしていた時期もあった。ただ、医者に行くことは頑としてなかった。

 胃がんの手術後、体調はいったん回復した。食欲も旺盛になった。しかし、5年後。75歳の時だ。今度は直腸がんだった。池田町内にある三好病院で手術を受けた。またこの時期には階段で転んで大腿骨を骨折。ボルトを入れる手術も受けた。

 泰見は「骨折も入れて合計3度の手術を受けた。このころはもう体がガタガタになっていました」と振り返る。直腸がんの入院は短かったが、骨折後は自宅でリハビリ生活となった。

 周囲には「次々と調子が悪うなってかなわん。もう死んだ方がマシじゃ」と言うこともあった。もう、学校のグラウンドに姿を見せることはできなくなっていた。野球を失い、健康を失った。このころ、蔦は「誰にも会いとうない」と妻のキミ子に言っていた。

 池田が夏春連覇した全盛期に、デイリースポーツの担当記者だった改発博明は、亡くなる1年ほど前に蔦の自宅を訪ねている。一度はキミ子に断られた。しかし、玄関先で名乗ると、昔懐かしい声に気づいた蔦が白いジャージー姿で手すりにつかまりながら出てきた。

 玄関先の土間から「先生、また甲子園に行きましょうね」と大きな声をかけた改発に、蔦は「わしはもう、甲子園まで行けん」と笑った。=敬称略

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