「蔦文也外伝32」もう、甲子園まで行けん(2)

「蔦文也外伝32」もう、甲子園まで行けん(2)

 【蔦文也外伝32】

 ユニホームを脱いだ蔦の残りの人生は、ほとんど病魔との闘いだった。そんな中、時折恩師を訪ねていたのが夏春連覇の立役者で、巨人にドラフト1位で入った水野雄仁だ。

 蔦は療養中、あまり訪問客に会いたがらなかった。そんな蔦の性格を、教え子は知り尽くしていた。

 「どうせ誰にも会いたくないとか言ってるだろうと思ったし、自分から会いに来いと言うタイプでもない。自分の弱っている姿を見られたくないと思ったんでしょうね」

 亡くなる少し前にも、花を持って自宅へ見舞いに行った。蔦は、妻のキミ子と水野が互いの近況を話すのをうれしそうに黙って聞いていた。

 蔦家には、蔦自身がしたためた書が今も多く残っている。「一球入魂」「人生無近道 人生無失望」などの座右の銘や、有名な「山あいの町の子供たちに一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ」の文字も屏風にある。蔦はこれらを水野に自慢げに見せた。

 「自分が死んだら価値が出ると思ってたんじゃないですか」。まるで恩師が生きているように軽口をたたく水野。教え子が異口同音に語る蔦への畏怖が「阿波の金太郎」と呼ばれたこの男にはない。

 よく怒られて、げんこつも食らった。しかし、陰では蔦を「ブン」とあだ名で呼んでいた。「当時は一応『怖い』って言ってましたけど、実は全然怖くなかった」と屈託がない。

 優等生タイプだった江上光治とは正反対だった。練習があまり好きではなく、我を通すことも多かった。ただ、こと野球に関しては相手の心理を見抜き、誰もまねできない集中力を発揮した。蔦はそんな水野の性分を愛していた。

 2人の関係性を、当時部長の白川進はこう振り返る。

 「蔦さんは、野球のレベルの高い子にほれ込むところがあった。水野はやんちゃだったが、ああいう天才肌の子とは通じ合うものがあるのかもしれません。本当に好きだった。蔦さん自身が野球少年としてすばらしい能力を持っていたけれど、プロでは成功しなかった。そういう部分もあるのかも」

 高校時代、水野は午後2時50分に6時間目終了のチャイムが鳴ると、とにかく全力でグラウンドに走った。3時までは掃除の時間だが、クラスメートに頼んで行った。

 なぜなら、6時間目に授業を入れていない蔦は、必ず先にグラウンドに来ている。皆が来るのをぽつんと座って一人で待っているからだ。怒られるからじゃない。ただ、早く行かなければと水野はいつも思っていた。監督が自分を待っている。そんな気がしていた。=敬称略

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