「安仁屋宗八傳・沖縄の星4」遊びながら楽しみながら(前編)

「安仁屋宗八傳・沖縄の星4」遊びながら楽しみながら(前編)

 【安仁屋宗八傳4】(前編)

 安仁屋は那覇中学に通った。戦前からの「産めよ殖やせよ」政策から沖縄でもこの世代の子どもたちが多い。マンモス中学だ。

 安仁屋は物心ついたころからおなかをすかした覚えがない。長男の宗一が米軍基地に勤め、コック長をしていた関係で、食べ物が比較的自由に入手できる環境にあった。肉や果物、時には七面鳥まで食卓に並んだ。

 「家にお金はなかったかもしれないが、食べ物だけはよかった。近所の人たちがうらやましがるほどだった」

 中学に入学すると、また引っ越しが待っていた。今度は国際通りの少し寂れた松尾60である。松尾消防団が目印だ。

 もちろん、野球部に入った。

 「中学時代は遊びながら、楽しみながらやったという感じだった」と振り返り、こう続けた。「目標があるかないかでやる気も変わってくるが、あの時代は本土みたいに小学から中学、そして高校で甲子園を目指すなんて考えなかった。甲子園の話をすることもまずなかった」

 それでも安仁屋が2年の1958年夏、沖縄ではあるビッグニュースに沸いた。首里高校野球部が「第40回甲子園大会」に出場。戦前、戦後を通じて沖縄勢として初めて甲子園の土を踏んだのだ。

 記念大会であり1県1校代表だったが、米国の統治下にあった沖縄は“招待”の格好となり、選手はパスポートを手に甲子園に乗り込んだ。

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