「安仁屋宗八傳・沖縄の星13」勝ちを意識した沖縄高(前編)

「安仁屋宗八傳・沖縄の星13」勝ちを意識した沖縄高(前編)

 【安仁屋宗八傳13】(前編)

 甲子園は試合前から沸いていた。

 1962年8月13日、夏の甲子園大会・第3試合。沖縄から実力で初出場した沖縄高は広陵高と対戦した。

 伝統校・広陵高は今大会の参加30校中、抜けた存在で優勝候補の一角だ。沖縄高が勝てば、それは“金星”だ。

 三回までは安仁屋、柳楽両先発投手の投げ合いとなった。

 約3万人の観衆のほとんどが沖縄高へ声援を送った。沖縄からの応援団は約5000人だったが、本土の各地方から出身者が集結し、一般の観衆も判官びいきから沖縄高ファンになっていた。

 四回、試合が動いた。安仁屋がつかまったのだ。1死後、3番山本に左三塁打を許し、2死後、梶野が左へ先制タイムリー。五回には2死からタイムリーで1点、六回にも2点を奪われ、4点のリードを許した。

 山本は2年生で広陵高の3番を打つスラッガーだ。63年には「長嶋2世」と言われ、巨人入りした。安仁屋と粟国のバッテリーが最も警戒した打者だった。

 安仁屋は「やはり広陵は違うと思った。詰まっても外野に持っていった」と振り返れば、粟国も「球が来ていなかった。この時期、一番調子が悪かった」と話した。

 その山本が笑いながら言う。「球場全部が沖縄の味方だよ。オレたちの応援はこのくらいが三塁側に」。両手の親指と人さし指で輪を作ってみせた。

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