「知将・上田利治1」あの時、ぼくの足を見てた?(後編)

「知将・上田利治1」あの時、ぼくの足を見てた?(後編)

【気骨で生きる〜知将・上田利治1】(後編)

 車内の電光ニュースで選抜高校野球の対戦情報が流れている。車窓を、春の陽光が飛んでいく。

 コーヒータイムが終わり、昔の阪急時代に再び思いをはせた。

 爆笑した仮病事件がある。ある夜の試合で乱闘になった。両軍選手がもみ合った。翌日の試合前。一人の選手がマスクをしてベンチ入り。言うことに「風邪引きまして」。

 そばにいた上田監督がまた当意即妙。「大事な時期に風邪なんか引きよってね」。よく見ればその選手は足を引きずり歩いている。「本当に風邪?」。記者が聞く。真面目な顔で選手がいう。「この足が風邪引きましてな」。

 昨夜の乱闘で相手の選手を蹴り上げ、おのれも足を痛めていたのだ。風邪という仮病は監督の知恵である。頭の回転が早い。あの頃の阪急ブレーブスには強いがゆえの誇りと、目的が(優勝と)はっきりしているから選手の自覚と、そして何より、心地いい笑いが毎日のようにあった。

 古い言葉に「文武両道」がある。知力と運動能力を持ち合わせている。そんな意味だ。上田少年がそうだった。平たく言えば、頭がよくてスポーツも万能。加えて、この少年には人の心をくすぐる絶妙なセンスも。「足が風邪を引いた」は一例である。

 のぞみ8号は定刻の12時14分に新横浜駅に到着した。待ち合わせた会社の後輩が、改札口から手を振ってくれた。

 車で宮前区までほぼ40分。タクシーが坂をのぼると、上田夫妻のマンションが見えた。

 開いたドアのすぐそこに、少し細身には見えたが、長身の上田が立って待ってくれていた。

 「ご無沙汰しています」

 「久しぶりやね」

 「監督」の顔を見ると、あの頃の、夜討ち、朝駆けのような…。妙な感情が生まれた。=敬称略=

  ◇  ◇

 上田利治(うえだ・としはる)1937年1月18日生まれ。徳島県出身。現役時代は右投げ右打ちの捕手。海南から関大に進み、村山実(阪神)とバッテリーを組んで活躍した。59年広島入団。61年に現役引退し62年に25歳で広島コーチに就任。71年からは阪急のヘッドコーチを務め、74年に阪急監督就任。75年から3年連続で日本シリーズ制覇。81年、阪急監督に復帰。84年には5度目のリーグ制覇。阪急がオリックスに球団譲渡後の90年まで監督を務めた。95年から99年までは日本ハムで指揮。監督通算勝利数1322勝は歴代7位。2017年7月1日、80歳で死去。


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