音速の貴公子アイルトン・セナの最期(前編)

音速の貴公子アイルトン・セナの最期(前編)

 モータースポーツの最高峰に魅せられて世界中を飛び回った。元F1担当の増田和郎は1991年自らスポンサーを探し出し、GP全16戦を取材した。音速の貴公子と呼ばれたアイルトン・セナの事故死。日本人初の表彰台に立った鈴木亜久里。高速の世界で生きるドライバーたちを追い続けた。=敬称略=

  ◇  ◇

 1994年5月1日、私はイタリア・イモラのサーキットにいた。午後2時(日本時間同9時)にスタートしたF1サンマリノ・グランプリ(GP)決勝レース。トップを快走するアイルトン・セナが7周目に入った第1コーナー、タンブレロで事故は起こった。緩やかに左に曲がる超高速コーナー。セナのマシンはそのまま直進し、砂塵を巻き上げてコンクリート壁に激突した。コックピットでセナの黄色いヘルメットが左へ傾き、そして右にコクリと揺れて動かなくなった。

 5年前の89年10月22日、鈴鹿。日本GP決勝は、2年連続で同じマクラーレン・ホンダの、セナとアラン・プロストの決戦となっていた。

 この年、初めてF1を取材した私は、鈴鹿の熱気とその観客の多さに驚いた。何しろ決勝日だけで14万人以上、3日間で30万人を動員する、まさに日本最大のスポーツイベントだった。

 セナは前年、鈴鹿で劇的な逆転優勝を飾り初のワールドチャンピオンを獲得して、その人気と実力を不動のものとしていた。甘いマスクと、他の追随を許さない予選の速さから「音速の貴公子」と呼ばれていた。連覇へは、この日本GPと最終戦豪州GPの連勝が絶対条件。セナファンはそれを信じていた。※(中編)に続く



【1990年代】アイルトン・セナ


関連記事

おすすめ情報

デイリースポーツ スポーツ・エンタメの現場の他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

いまトピランキング

powered by goo いまトピランキングの続きを見る

エンタメ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

エンタメ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索