音速の貴公子アイルトン・セナの最期(後編)

音速の貴公子アイルトン・セナの最期(後編)

 そんな間に、トラックではとんでもないことが起こっていた。セナ・プロがいなくなった後、トップに立ったゲルハルト・ベルガー、ナイジェル・マンセルが相次いでリタイア。終盤、鈴木亜久里がグングン追い上げ、35周目に3位に上がった。

 残り周回数が減るごとに、スタンドは目に見えて日の丸が増えた。どこに忍ばせていたのだろう。あわてて買ってきたのだろうか。日本人初のF1表彰台。それもホームの日本GPで。スタンドは興奮の極致に達していた。

 「涙の向こうに日の丸がかすんで見える。あと2周。走り切れば初めての、そう、夢のF1表彰台だ」

 亜久里の快挙を伝える私の原稿の書き出しはこうだった。

 翌年の元日付デイリースポーツ一面はF1。「世界が舞台」と、鈴木亜久里が飾った。

 このころ、私は東京に出張するたび時間を見つけてスポンサー探しに走り回った。F1全16戦(当時)を完全取材するためだった。

 F1は1950年、ヨーロッパで始まった自動車レースの最高峰である。1国1開催のGPが毎年3月に開幕し、世界5大陸を転戦して11月に最終戦を迎える。当時は全部で16戦あった。

 東京で、幸いにスポンサーが見つかった。上司の許可が出た。91年からF1全16戦取材に1人、世界を飛び回ることになった。

    ◇   ◇

 「日本?鈴鹿?人々の声援がすごいんだ」

 アイルトン・セナは私にそう話した。

 セナの事故死から20年以上が経過した。F1は当時に比べ格段に安全になったが、レース戦略などで電子化が進み、当時のような人間味が薄くなったような気がする。(終わり)



【1990年代】アイルトン・セナ

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