京大アメフット部の名将・水野弥一(前編)

京大アメフット部の名将・水野弥一(前編)

 アメリカンフットボール界で「涙の日生球場」と呼ばれる試合が77年、関西学生リーグ優勝をかけた関学大−京大戦。伝説の一戦に懸けた関京戦を振り返る。=敬称略=

  ◇  ◇

 1977(昭和52)年11月13日。朝から雲が低く垂れ込め、冷たい雨が降っていた。

 前日、“6−4で京大有利”と書いた記者は「雨はパスを投げる関学は不利。今年の甲子園ボウルは京大で決まり。これは関学の涙雨やなあ」と思った。

 大阪城の近くにあった日生球場は、いまは巨大商業施設となっているが、当時はプロ野球の近鉄バファローズの本拠地。関西学生リーグが日生球場で行われるのはその日が最初で最後だった。

 当初は11月20日の予定だったが、前年、京大が28年間無敗だった関学大のリーグ戦145連勝をストップさせ、5勝1敗同士のプレーオフでは、万博球技場で観客があふれ出した。関学大が13−0で雪辱し甲子園ボウル出場は28年連続と伸ばしたが、それ以上の大観衆が予想され、急きょ2万人余りを収容できる日生球場に会場を変更、それに伴い日程も変更され、新聞休刊日になってしまった。

 今では、新聞休刊日の翌日も駅などで売る「特別版」があるが、当時は新聞は発行されず、翌々日に小さく扱われるだけだった。

 球場に着くと、湧き起こる地鳴りのような声に体が震えた。ほぼ満員のスタンドには「京大コロセ!」という大旗。グラウンドでは、試合前から京大の選手の一人が倒れた。肩を大きく回したとたんに気合が入りすぎたのか脱臼したようだ。※(中編)に続く



【1970年代】水野弥一


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