京大アメフット部の名将・水野弥一(後編)

 水野監督は「戦闘機乗りになりたい」という理由で防衛大学に進学。「アメリカの撃墜王はフットボール経験者が多い」という誘いでアメリカンフットボール部に入部した。しかし一年で腰を痛め、パイロットは無理といわれ退学、京大工学部に入りなおし、65年、大学院に進むと同時にコーチに就任した。当時の京大は100点ゲームで関学大に敗れている。「関学に勝つ、と言うと、『お前が山本富士子と結婚するという方が可能性がある。山本富士子だって何かの間違いがあるかもしれないが、関学にはない』と笑われた」。それなら「勝つまで結婚しない」と宣言した。

 京大は日本でも1、2位を争う難関だ。常に部員不足。春先はほとんどの練習時間を新入部員の勧誘に充てる。入学の際の身体検査で「大きくて、色の黒いやつを探して来い」。そういう新入生が見つかればすぐに行きつけのとんかつ店に誘い、特大とんかつを食べさせて口説く。

 しかしいくら部員を集めても、経験者はほとんどいない。素人集団を鍛えるために水野監督は「一つのことに一流になれ」と言う。アメリカンフットボールは他の競技と違い究極の分業である。ボール投げる者、受ける者、走る者、その進路を開ける者…その一つのポジションで一流になれ。

 「アメリカンフットボールやから京大でも勝てたんです」

 京大が関学大の牙城を崩して甲子園に出場するのは“涙の日生球場”から5年後、そして甲子園ボウルで日大を破り、ライスボウルで社会人No.1のレナウンを破って日本一になるのはさらに1年後の83年だった。水野監督はその年やっと結婚した。43歳の花婿だった。(終わり)



【1970年代】水野弥一


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