若き武豊の米国遠征同行記(前編)

若き武豊の米国遠征同行記(前編)

 海外での取材はプロ野球や一般スポーツ記者にとっては身近なものだったが、当時の競馬記者には縁遠いものだった。1989年、武豊騎手が“米国武者修行”を敢行。彗(すい)星のごとく現れた天才ジョッキーを取材するため、デイリー競馬記者として初めて海を渡った元競馬記者がいた。=敬称略=

 1985年阪神タイガースの日本一に沸き立っていた頃、競馬界にもスターホースが現れた。ミスターシービー、シンボリルドルフが三冠馬となって、競馬ファンだけでなく女性や子供たちにまで注目されるようになった。タイガースとともに歩んできたデイリースポーツも順調だった。

 しかし、頂点に立ったタイガースはその後、力を出し尽くしたかのように冬の時代を迎える。87、88年連続最下位。ペナントレースも後半戦になり、優勝の望みが消えて低迷するとタイガースで新聞を手に取ってもらうのは難しくなった。

 おのずと競馬が1面に出る回数が多くなっていった。しかし、その内容はというと、競馬記者の出番が回ってきたのだが、あくまで大レース、それも馬が主役の予想に重点を置いた記事だった。

 そんな折、スタージョッキーが誕生した。87年、2世ジョッキー武豊は新人記録を次々と塗り替え、破竹の勢いで勝ち星を重ねていった。端正なマスク、すらりとした長身、血統の良さも相まって、競馬を知らない人もタケユタカの名前を知ることになった。馬ではなくて“武豊”で新聞の1面を作れるほどの存在になった。

 デビュー3年目、89年の夏、イナリワン(天皇賞・春)の手綱さばきにほれ込んだ保手浜弘規オーナーが武豊にアメリカ遠征をプレゼントした。当時、プロ野球キャンプやオリンピックなどでは海外取材はあったものの、競馬記者が出張することは皆無だった。※(中編)に続く



【1980年代】


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