70年にわたる競輪の歴史(後編)

70年にわたる競輪の歴史(後編)

 競輪は知らなくても中野の名前はご存じだろうが、彼は75年5月、地元の久留米でデビュー。4戦目の6月26日、小倉で10連勝を達成してA級に昇格した。まだS級はなくA級とB級制度の時代のことだが、中野は早くも天才的レーサーと評価され、ビッグレースも次々に制覇。78年7月の門司記念から81年2月の伊東記念にかけて「62場所連続して決勝戦進出」という大記録も樹立した。

 勢いに乗る中野は77年から86年にかけて「世界選手権・スプリント競技で10連覇」を達成。その間、84年には昭和天皇主催の「秋の園遊会」に招待され、日本自転車振興会(現在のJKA)、全国競輪施行者協議会、日本競輪選手会など全ての競輪関係者が感激した。

 とはいえ、中野にも82年の「高松宮杯」(当時の名称)や同年の世界選で落車し、国内の特別競輪を全て制覇して「グランドスラム」を達成できなかった悔しさなどもあったと思う。だが、「世界のナカノ」といって称賛され、その名声を後世に残す活躍をしたのは絶賛に値する。

 次は競輪界で最高の1341勝を記録し、引退後は競輪学校の名誉教官や「日本名輪会」の会長を務めた松本勝明を紹介したい。私はある時、「引退される時は教えて下さい」と頼んだ。彼は表情が変わるほど驚いたが、私はそれまでファンの前で行われる引退式を見たことがなく、「松本のような有名な選手だけは絶対に−」と思っていた。

 それから約3年後、京都向日町競輪で「引退の意志」を聞き直ちに記事にした。彼には本当に申し訳ないことをしたが、引退式は盛大に行われ、終了後、同競輪場の施行者に「松本勝明賞」を創設してほしいと懇願した。

 その願いが実現し、今では大きく貢献した選手名の付いた「賞」や「杯」は常識になった。私にとっては生涯で一番うれしい特ダネだった。(終わり)



【1970年代】


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