荒木大輔を支えた悲運の逸材・小沢章一(中編)

 現役プロなら、遊撃手だが今宮(ソフトバンク)タイプか。しかし、いかにプレーぶりにほれ込んでも、細身の小さい体ではシーズンの長丁場は持たない、プロでやるのは無理だという判断だった。だから、せめて、もうちょっとだけ身長があれば…と惜しまれた。

 「職人」といっていい。当時、家族を取材したときに聞かされたこだわりがグラブだった。自宅に5、6個が転がっていたという。初めは気に入って購入するが、練習で使ってみてしっくりこないのか、ポイと置いたまま。そして本番で使用するのはボロボロになった古いもの。愛着という言葉では片付けられない何かがあったのだろう。

 打撃も長打力こそ欠けるがシュア。5季出場したなか、唯一、1年夏準決勝、瀬田工(滋賀)戦で圧勝する試合経過で終盤、代打を送られて交代しただけで、あとはフル出場。1年夏の9番、2年以降は1番打者として計17試合で無安打はわずか3試合、通算打率・359を残した。

 攻守の要として、3年時は主将として荒木を支え、チームを引っ張った3年間。当然のように早大に進学して神宮球場に活躍の舞台を移すはずだったが、ここで暗転した。肩の故障発生から癒えることなく、2年時から母校、早実のコーチとなって後輩を育てた。

 卒業後、次なる夢にトライする。千葉英和に赴任し、部長、監督として甲子園出場を目指した。無名の野球部は就任2年目、88年夏に早くも千葉大会ベスト8入りした。以後も有力校の一角を占める存在になり続けた。指導者として戦うなか、一度、甲子園に出向いている。※(後編)に続く



【1980年代】


関連記事

おすすめ情報

デイリースポーツ スポーツ・エンタメの現場の他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

いまトピランキング

powered by goo いまトピランキングの続きを見る

エンタメ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

エンタメ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索