だが連勝でM1としてから悪夢のような足踏みに。連日、満員札止めの球場。日に日に高まる重圧。神戸で決めなければという意識が強過ぎて選手は金縛り状態に陥っていた。

 6連戦最後の試合。まさかの逆転負けで地元優勝がなくなると、球場は失意のどん底に放り込まれた。打たれた守護神の平井は泣いていた。イチローも目を潤ませ「残念です」と声を絞り出した。監督の仰木彬は「責任はすべて私にある」と謝った。優勝を逃したチームを見ているようだった。

 めったにミーティングをしない監督が選手を集めて声をかけた。「どれだけ2位と離れとるんや。優勝が決まらんことはありえんから」。その言葉通り、神戸を離れたチームは次の試合であっさり優勝を決めた。

 そんなシーズンを経て迎えた96年は連覇だけでなく、神戸で勝つことが求められたシーズンだったのだ。「宿願」。仰木は自分たちの使命をそう表現した。94年からチームを担当してきた自分にとっても、地元Vを見届けることは2年越しの願いとなっていた。

 9月23日に優勝が決まった場合、新聞は出ない。衝撃的な話を上司から聞かされたのは夏頃だったろうか。理由は社屋の引っ越しである。震災で三宮駅前にあった本社が倒壊。建設中だった新社屋への機能移転が、その日に設定されていた。

 イヤな予感がした。日をずらせないのか。神戸の新聞社が地元球団の優勝の新聞を出さない事態となっていいのか。上司に怒りをぶつけた。だが、時はすでに遅かったのだろう。「そうならんように神様にお願いしよう」。それが答えだった。

※(後編)に続く



【1990年代】