「内藤國雄・人生自在流18」結婚−長女誕生後の復活(後編)

 【内藤國雄・人生自在流18】(後編)

 昭和39(1964)年9月7日、長女が誕生した。「初めての子だから、よさそうな名前を考えそうなものだが、普通に育ってくれたら十分」と、普子(ひろこ)と命名した。

 その頃、負けが続いてかなり落ち込み、自信をなくしていた。B1級七段からB2級七段に落ちるありさま。

 そんなスランプから脱出できたのは長女誕生から間もなくだった。父親としての責任感もあったのだろう。調子が徐々に戻って3年目で元のB1に復活した。

 その頃、好きになった言葉は「一瀉千里」。物事が一気にはかどる、という意味で、対局で終盤になると、口の中で「いっしゃせんり」と、つぶやいていた。

 それは鋭い寄せを見逃さないようにという自らへの戒めでもあった。

 「将棋はきれいに勝とうとしては決してうまくいかない。また、相手に聞こえると失礼になる、と気づいてやめにした」

 七段に上がって4年目。「今年こそA級八段入りに全力を尽くそう」と決意。12勝1敗の文句なしの成績でA級に駆け上がった。昭和42(67)年4月1日、27歳の時だった。

 「苦労したこともあって喜びは例えようもなく大きく、棋士になってよかった−としみじみ思った」

 ついに、当時最高の八段位を手にした。=敬称略=

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