【爆笑王桂枝雀34】(後編)

 だから気嫌よくなるためには、歌を歌うか笑うかで、これはいいことです。落語を聞いていると笑いあう。和があります。笑いあうのは人と気が一つになっているということですから、これは和の状態、いけいけの状態で、笑っている時に「あんた、そっちいけ」なんていいません。「面白いですね」なんて肩たたきあって笑ったりします。だから笑うことはいいことだと思うんですよ。

 そういう時間をできるだけ長く持つようにするお稽古をする。お稽古という言い方はちょっと誤解を招きますが、時間をかけるということです。気嫌のよい時間を多く持つと、だんだん自然と物事は変わっていきますから、気嫌のほうもよくなります。気嫌の悪い気持ちも、だんだん気嫌のよい癖がつきます。気嫌の悪い時間を多く過ごす人は、自然と気嫌の悪い癖がつきます。なんでもすべて癖なんですよ−。

 枝雀が自宅の大きな鏡の前で、気嫌のいい笑顔の練習(お稽古)をしていたというのはよく知られた話である。

 −でも私、こんなことを言っておきながら、誰とでも会うということが出来ない性質(たち)です。本当だったら万事気嫌よく、出会う人すべて、と思うけど、逆に合わないだろうなあ、という人とは会いたくない。できれば避けたい。

 本当はそれがいかんことで、痛さから逃げているようなもんです。痛さもよし、とするところまでいかなければいけないんですけど、まだ中途半端ですから、気の合わない人とは一座はできません。

=敬称略=