【もんたの大冒険4】(後編)

 もんたは父の反対を押し切る形で、報徳学園2年のとき学校を中退した。半ば強引に音楽の道へかじを切ったが、その先にはいばらの道が待っていようとは想像もしていなかった。「あの頃はまだ、人生がこんなに長いとは思っていなかった。3カ月先のことぐらしか考えられんかった」。半世紀以上が経過して、もんたはその時の決断をそう語った。

 もっぱら練習はバンド仲間で金融業の父が所有する「蔵」で行っていた。そして練習の成果を披露していたのが、もんたいわく「唯一イケてる場所」だった神戸・三宮の高架下のダンスホール「宝石」だった。

 まだ丸刈りだったもんたは阪神の野球帽をかぶりステージに立った。当時ヒットしたレーン&ザ・リー・キングスの「ストップ・ザ・ミュージック」をカバーした。

 ちなみに門田家はそろって大の阪神ファン。小学生の時、ザトペック投法で有名だったエース・村山実の自宅に行き、インターホンを鳴らした。すると本人が出てきて嫌な顔一つせずサインを書いてくれたという。「びっくりしたわ」(もんた)。

 歌う前には必ず、喉をつぶすため、波止場へ行った。ハスキーボイスで知られるもんただが、元々は細く高い声だった。「女の子に間違われたこともある」。リズム&ブルース(R&B)を目指したもんたには「しゃがれた声」がどうしても必要だった。=敬称略=