稀代の名女優は人生の幕の閉じ方も一流である。昨年10月に膵臓がんのため亡くなった八千草薫(享年88)の豪邸がこのほどある人物らに遺贈された。その陰に彼女の「終活」があって――。

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 身内に先立たれて、“ひとり”になった時、身辺整理をどうするか。生涯女優を貫いた彼女にとっても例外ではなかった。昨年、「文藝春秋」(8月号)掲載の手記に八千草はこう綴っている。

〈80歳を過ぎた頃、「終活」をしようと思い立ち、(中略)最近になって改めて決心して、遺言状をちゃんと作成しました〉

 満州事変が始まった1931年(昭和6年)に大阪府で生まれた八千草は幼いころに父を亡くし、きょうだいもいなかった。57年、映画監督の谷口千吉と結婚。子はいなかったものの、仲睦まじい夫婦として知られた。だが、2007年に夫が鬼籍に入る。身寄りのいない中で八千草は「終活」について、考えを巡らせていたわけだ。

 ふたりが居を構えていたのが世田谷区にある高級住宅地だ。150坪ほどの土地に建てた一軒家で、土地だけでも3億円近くの資産価値。豪邸にはサンルームが併設され、そこから見える庭と池がお気に入りだと、自身の著書でも触れている。

「一昨年の1月に膵臓がんの手術を受けているのですが、同じ年の春あたりに、この家をどうしようか、という話になりました」

 とは、40年の長きにわたりマネージャーを務めてきた原田純一氏である。

家を残したい

「ご主人との思い出も詰まっていますし、本人の希望は“家を残したい”ということでした。彼女は記念館とかは絶対に嫌よ、と言っていました。自分は文化人ではないし、所詮、“役者風情”だって。レストランにして残そう、という話もでた。ただ、経営の素人がやっても上手くいきそうにない。次に、世田谷区に寄贈しようともした。でも、実際に私が区に相談すると“更地なら”という返事でした」

 結局、家を残すという選択肢は断念せざるを得なかった。原田氏が続ける。

「それなら一番迷惑のかからない方法でお世話になった方たちに分け与えようということになったんです」

 八千草の自宅の登記簿を見ると、今年2月、3人の男女に遺贈の手続きがされていることが分かる。遺贈なら、法定相続人でない人へも財産を遺すことが可能だ。

「3人のうちお二人は八千草とご主人の谷口さんのそれぞれの遠戚。2人とも自宅に出入りされて、一緒に旅行するほど親しくされていた方です。もう1人は所属する事務所の社長。病気になって仕事をすべてお断りしたことを彼女はとても悔やんでいた。損害を与えてしまった、と」

 そうはいっても相続税はかかることになる。

 相続に詳しい税理士は、

「遺贈は通常の相続よりも2割加算された額を相続税として支払うことになります。この場合、お一人あたり、2500万円弱を納めることになるのでは」

 原田氏によれば、現在、八千草邸の買い手を探していて、今後、売却して各々が相続税を払う方向。それでも3人の手元に現金は残るので、お世話になった方に少しでも恩を返せればということなのだろう。実に見事な「終活」ではないか。

「彼女の愛犬も愛猫も引き取り手が決まり、今は遺品の整理を進めているところです。この庭を気に入って買ってくれる方がいればいいのですが……」(原田氏)

 80坪ほどの庭には桜や金木犀が植えられ、小鳥のさえずりも聞こえてくる。

「あと何回この桜が見られるかしら」

 晩年の八千草はそう言って、後のことを思案していたという。

「週刊新潮」2020年3月19日号 掲載