「雅子妃」銀婚式に“人格否定”の残響 孤立を深めた皇太子の「美智子皇后」批判

「雅子妃」銀婚式に“人格否定”の残響 孤立を深めた皇太子の「美智子皇后」批判

「雅子妃」銀婚式に「人格否定」の残響(上)

 来年の御代替わりまで、残すところ10カ月余り。先ごろ両陛下は「最後」の被災地ご訪問を果たされた。一方でさる9日には、皇太子ご夫妻がご成婚から25年となる「銀婚式」を迎えられたのだが、そこには今なお、14年前の“衝撃発言”が、厳然と響き渡っているのだ。

 ***

 9日から福島県を行幸啓された両陛下は、最終日の11日、相馬市にある東日本大震災の慰霊碑に向かわれた。

「今回の目的である植樹祭はもちろんのこと、事実上、ご在位中の被災地ご訪問もこれが最後となります」

 とは、宮内庁担当記者。

「皇后さまはお疲れもあって体調を崩され、11日の早朝には38度を超す高熱があったのですが、慰霊碑前には予定通りお見えになり、強い雨の中、陛下とともにしっかりしたお手つきで供花なさる姿が印象的でした」

 こうした行幸啓は来年5月以降、皇太子ご夫妻へと引き継がれていくわけだが、1993年のご成婚から四半世紀、辿ってこられた道のりは、まさしく山あり谷ありだったと言わざるを得ない。

 9日に発表された文書で皇太子さまは、次のように述べられていた。

〈雅子は、この25年間、大変なこともある中で、色々な努力を続け、また、私と愛子をしっかりと支えてくれており、ありがたく思うとともに、心から感謝しています。点数を付けるのは難しいですが、今回は、結婚10年の折の「努力賞」と「感謝賞」のダブル受賞に加えて、銀婚式に因んで銀メダルも贈りたいと思います〉

 そのお言葉を受けるようにして雅子妃も、

〈今回、殿下からは、身に余る賞や「銀メダル」までいただけると仰って下さり、その寛大なお気持ちを大変ありがたく思いますとともに、金婚式に「金メダル」をいただけますかどうかは心許なく感じます……〉

 と、さらに四半世紀先へと思いを馳せられながら、あわせてこう記されていた。

〈25年間を振り返りますと、様々な出来事が走馬灯のように頭の中を巡り、感慨深いものがございます〉

〈私が体調を崩しましてからも、皇太子殿下には、いつも優しく、細やかなお心遣いをいただきながら、お助けいただいてきている〉

 文面の通り、過ぎ去りし25年は実に起伏に富んでいた。中でも特筆すべきは、やはり皇太子さまの「人格否定」発言であろう。

皇太子の「美智子皇后」批判

 ことは14年前に遡る。2004年5月10日、欧州各国ご訪問を前に皇太子さまは、東宮御所で恒例の会見に臨まれていた。

 ここで、予期せぬ事態が生じた。当時を知る全国紙デスクが振り返る。

「前年からご静養されていた雅子さまが同行されないことについて質問があり、皇太子さまは『心底残念に思っています』と、お気持ちを代弁されながら『外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族として、大変な、重要な役目と思いながらも、外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました』と明かされた。また、ご自身のお気持ちも『後ろ髪を引かれる思いです』と吐露なさったのです」

 皇太子さまの口から衝撃的なフレーズが発せられたのは、その直後であった。

〈雅子にはこの10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です〉

 会見の場が静まり返ったのは言うまでもない。

「会見の最後には『どんなことを念頭に置かれたお話なのか』と、補足質問が飛びました。皇太子さまは『細かいことは控えたい』とされながら『そのことで雅子も私も、とても悩んだ』と漏らされたのです」(同)

 皇太子さまはその2日後に渡航され、5月24日に帰国。が、ご不在中に騒ぎが鎮まるはずもなかった。

「5月17日には、宮内庁の羽毛田(はけた)次長(当時)の会見で『社会的影響の大きい発言。あらためて具体的内容が説明されなければ、国民が心配する』との陛下のお気持ちが示されました。結果として皇太子さまは、ご帰国後の6月8日、長官の会見を通じて文書でご発言の真意を説明せざるを得なくなったのです」(同)

 その文面には、こう綴られていた。

〈具体的内容について、対象を特定して公表することが有益とは思いません(略)皆さんにお伝えしたかったのは、私たちがこれまで直面してきた状況と今後に向けた話です〉

 名指しこそ避けられたものの、ご夫妻を取り巻く環境に苛(さいな)まれてこられた点を繰り返し強調されたのである。

東宮大夫の電話を叩き切った雅子さま

 が、ここからさらなる混乱が引き起こされていく。

「皇太子さまの苛烈なお言葉は、一体どなたに向けられたものなのか、と様々な憶測が流れました。一義的には、ご成婚当時から『外遊はともかくお世継ぎを』との空気が支配していた宮内庁、中でも歴代の長官をはじめとする幹部らへ向けられたものでしたが、そうした雰囲気をおのずと醸成なさっているであろう両陛下、とりわけ皇后さまにも切なるお声を届けたかったのではないか……。当時はそんな見方も、記者会では広まりました」(同)

 この6月8日の「説明文」が出される少し前、皇太子さまのご真意を伺うべく電話をかけてきた当時の東宮大夫に対して雅子妃は、

〈そんなことをするのなら、私は皇太子妃を辞めます〉

 そう言って一方的に電話を切り、傍らの皇太子さまに「はっきり申し上げましたよ」とご報告される一幕もあった。さらには、

「その年の11月、今度は秋篠宮さまがお誕生日会見でこの問題に触れ『記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったかと思っております。そのことは残念に思います』と、異例の兄宮批判をなさったのです」(同)

 庁内は言うに及ばず、宮中でも抜き差しならない状態が続いていた。それは、陛下が同年末のお誕生日に、

〈皇太子の発言の内容については(略)まだ私に十分に理解しきれぬところがあり……〉

 そう言及なさったことからも明らかで、まさしく平成最大の危機が皇室を覆っていたのだった。

(下)へつづく

「週刊新潮」2018年6月21日号 掲載


関連記事

おすすめ情報

デイリー新潮の他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

社会 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

社会 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る

記事検索