「好きな人のためにやりました」。1981年(昭和56年)3月25日、三和銀行茨木支店(現・三菱UFJ銀行茨木支店)を舞台に、同支店の女子行員がオンライン端末を操作し、1億8千万円もの金を不正送金する事件が起きた。コンピュータのオンラインシステムを悪用した初めての犯罪だった。

 逃亡先のフィリピン・マニラで、殺到するマスコミの取材に、笑顔でそう答えた妙齢の女性は一躍時の人となった。当時32歳の伊藤素子さんである。

 彼女は高校卒業後、大阪府の三和銀行茨木支店で預金係として働いていた。すらっとした長身にはっきりした目鼻立ちの彼女は、窓口にいてもさぞ人目を引いただろう。仕事そのものは単調だったが、面白いように貯金がたまっていくこの仕事を彼女は気に入っていた。

 素子さんにはいろいろな縁談が舞い込んだが、彼女は一向に首を縦に振らなかった。彼女はかなりの面食いだったらしい。

 だが入行12年目に理想に近い男が現れる。南敏之という。背が高くハンサムな彼は、大型のキャデラックでさっそうと茨木支店に乗りつけてくる。南は、「茨木霊苑」という1万坪もの敷地を有する墓地管理業の経営者という触れ込みだった。この男こそが彼女の人生を狂わせた張本人である。

 南は如才ない性格で、女あしらいがうまかった。素子さんは、間もなく食事に誘われるが、この時すでに南には魂胆があったのだろう。南は既婚者で、経営していた霊苑は実は南の妻の実家のものだった。だが生来の道楽、女遊び、強欲な金儲けの失敗が祟って、1億円近い負債や借金を抱えていたのである。

 一方、素子さんにも事情があった。まじめで奥手に見える彼女にはこの時、12年越しの不倫相手が別にいたのだ。素子さんはこの男の子供を2度中絶している。その罪悪感から、もうまともな結婚はできないとあきらめていたのだった。

 こうして不倫と割り切って始めた交際だったが、素子さんは次第に泥沼にはまってゆく。最初は羽振りがよかった南だが、逢瀬のたびに素子さんに金の無心をするようになる。

「悪いけど10万円貸してくれへんか。すぐ返すから」

 さらには彼女のキャッシュカードを借りて30万円、50万円と引き出した。素子さんが返済を催促すると、

「お前までそんな催促をして俺を困らせるんか。俺にはもうお前しかおらんのや」

 と泣き落としにかかった。

 結局、犯行が行われた81年3月までの間に、素子さんはコツコツためた900万円もの金を南に渡している。

 さすがに彼女は別れを考えるようになるが、南はそんな素子さんにとんでもないことを持ちかけたのだった。

「お前、銀行から金もちだせんやろか。銀行に勤めとるんやから、ええ知恵あるやろ」

 当然断るものの、南はまったく引かない。南のしつこさに負けた素子さんは、

「どこかの支店に当座預金さえあれば……そこへ茨木支店から入金して、その後からお金を出したら不可能なことやないわ」

 と、口にするが、すぐばれて捕まってしまう、と付け加えると、

「茨木支店で入金の打ち込みをしてすぐ金を引き出し、その足で出国すればいい。二人でフィリピンのマニラに逃げて一緒に暮らそうや」

 と、丸め込まれた。

裏切られても

 事件当日、出勤した素子さんはオンラインの端末を操作し、あらかじめ開設しておいた4つの架空口座に計1億8千万円を送金した。直後に「歯医者に行ってきます」と銀行を飛び出し、大阪、東京と移動して現金5千万円と小切手8千万円分を引き出した。そして待ち合わせた南に全額を渡すと、先にひとりだけでマニラに飛んだのである。その後5カ月余りマニラに滞在するが、あろうことか、南は一度も現れなかった。裏切られたのだ。

 彼女が現地で拘束されたのは9月8日。そして成田への機中で逮捕された。

 素子さんは逮捕後に何度か手記を書いた。『愛の罪をつぐないます』という本人名義の本まであるが、これは本人から話を聞くことなく、裁判資料や周辺取材だけで新聞記者が書いたものだ。

 それらには、不思議なことに、南への恨み節はほとんど出てこない。「悪いのは私なのです」とか「南さんは根っからの『悪人』ではなく、借金に追われているうち、人間が変わっていった」などと語り、南と離婚することになった妻にも謝罪している。彼女には南への思いが残っていたのかもしれない。

 82年、大阪地裁は素子さんに懲役2年6カ月、南に同5年を言い渡した。彼女には「ハイミス」「婚期を逃した女」「行き遅れ」といった揶揄や嘲笑が浴びせられたが、服役中は男性たちからファンレターが殺到した。そして84年に仮出所した後、90年に素子さんは事件を承知しているサラリーマンと結婚した。

 美貌の犯罪者として注目を浴びた素子さんも、もう71歳。実家周辺で聞いてみると、

「あの家には素子さんの一番上のお姉さんが住んでいます。素子さんは出所してから一時あの家に戻っていましたが、今は全くお見かけしませんよ」

 とのこと。素子さんが夫と暮らしていると思われる琵琶湖畔のマンションも訪ねたが、会うことはできなかった。平穏な老後を送っているということだろう。

「週刊新潮」別冊「輝かしき昭和」追憶 1964-1989 掲載