『おかあさんとあたし。』 ムラマツエリコ なかがわみどり

 本好きの人を「本の虫」と呼びますよね。幼い頃の私はまさにそれ。本を開けば男の子になって冒険をしたり、クレオパトラみたいな歴史上の人物になることもできました。それが嬉しくて楽しくて、小学校では図書館に入り浸り。密かに“ここにある本を全部読み終えて卒業する”という野望を抱いていたほどです。

 ようやくテレビドラマの撮影が再開されるなど、少しずつ日常が戻りつつあります。私もコロナウイルスの影響で、初めての巣ごもり生活を経験しました。確かに不自由ではありましたが、再放送で15年前の自分の出演作を見てみたり、本棚に並んだ書籍に改めて目を通したりと、自分自身と向き合う時間を過ごすことができました。

 自宅で読み返した一冊に、私が“バイブル”として大切にしている『おかあさんとあたし。』(大和書房)という絵本があります。ムラマツエリコさんとなかがわみどりさんによる共著で、“こどものわたし”と“おかあさん”が繰り広げる日常が、可愛らしいイラストとともに描かれています。

 例えば60ページ。夏の日の午後でしょうか、団扇を手に寝そべったおかあさんと、そのお腹を枕にするように頭をのせた女の子が扇風機で涼みながら“あっはははっ”と笑っています。

 何気ない母子の一コマですが、初めてこれを目にした時、私は思わず号泣してしまいました。“うちのおかあさんもこんな感じだったなあ”と感慨にふける一方で、“あの頃はもう戻らない”という当たり前の現実に、どうにもやり場のない切なさを覚えたからです。

 これまで女優としてさまざまな役柄を演じてきましたが、30代に入った頃から母親役が増えてきました。当初は幼稚園児や小学生の母親でしたが、最近は子どもたちが大学生や社会人という設定も珍しくありません。

 ところが私には子育ての経験がないので、つい“自分の演技にはリアリティが欠けている”と考え込んでしまうんです。そういうマイナス思考を補ってくれるのはやはり読書で、これまで何冊もの母親や家族の姿を描いた作品に目を通して、そこで得た“疑似体験”を芝居に生かすよう心掛けてきました。でも、やっぱり実体験にはかなわないんですね。ところが、同じ本でもこれを開くと“そう、そう”と子どもの視線で同意したり、“なるほどね”と、母親の立場で納得してみたりと、母子それぞれの追体験ができるんです。だから、スタジオで共演する子役のつむじを見ただけでホロッと泣けてきちゃうときがあるくらい、“本当の親子”になれていると感じることが多くなりました。

 かつて、尊敬する演出家の方から“最高の表現とは笑いの中の涙なんだ”と教えられたことがあります。ベクトルが正反対な複数の感情を同時に表現することができれば、それは素晴らしい演技であり、かつ芸術だというんですね。その点、子を産み育てる母親の喜怒哀楽には、「母」だけが持ち得る複雑な螺旋があるはず。だから私は母親を演じる時はいつも、この本を鞄に入れて持ち歩いているんです。

 図書館で腕白少年やエジプトの女王になっていたかつての私。いまでは「おかあさん」にもなっています。

女優 羽田美智子

「週刊新潮」2020年6月25日号 掲載