“段ボール一杯のピン札”から“錦鯉”まで… 「田中角栄」カネの流儀

“段ボール一杯のピン札”から“錦鯉”まで… 「田中角栄」カネの流儀

〈田中角栄のカリスマは、金を最大公約数とし、最小公倍数に、彼の実人生上の神話がある〉

 長らく角栄の金庫番を務めた愛人、佐藤昭女史をルポした「淋しき越山会の女王」の中で、著者の児玉隆也はそう書いている。

 今年は角栄が生まれてから100年、死去してから25年の節目に当たる。幾星霜を経ようと、その栄光と転落の75年の人生が色褪せず、折に触れて「角栄ブーム」が起こるのは、人々がそこに神話めいたものを見出しているからだろうか。自らの才覚と器量で頂まで上り詰めた今太閤。しかし、何より彼をカリスマたらしめていたものは、児玉隆也が書いた通り、金に他ならない。しかも、誰彼かまわず、ただ金をバラまいていたわけではなく、そこには「哲学」があった。

「金は受け取る側が実は一番つらい。だから、くれてやるという姿勢は間違っても見せるな」

 といった言葉は、「哲学」なしに発することはできまい。また、金を渡すタイミングも絶妙だった。例えば、政治家にとって、金が最も必要なのはいつか。無論、それは選挙の時で、角栄の秘書軍団や後援会はここぞとばかりにフル稼働するのである。

「確か角さんがロッキード事件で逮捕された後の選挙の時だったと思いますが、上の人間に突然、段ボール箱を作れと命じられた」

 そう述懐するのは、史上最強の後援会と謳われた「越山会」の関係者だ。

「で、部屋の中で段ボール箱を組み立てていると、そこにどんどん金が運ばれてきて、それを詰めていくのです。箱の数は10や20ではきかず、みるみるうちに一杯に。金は全て新券、いわゆるピン札だったので、私はそれで手を切ってしまい、上の人間に“札に血がつかないよう気を付けろ”と怒られたのを覚えています。1箱に詰めた額はおそらく1億円だと思います」

錦鯉を運ぶ

“作業”はそれで終了ではなかった。

「角さんの秘書に呼び出され、金を詰め終わった段ボール箱を1つ、北陸の自民党系候補の元に運ぶよう命じられたのです。車ではなく電車で行けというので、重い箱を抱えて新潟から向かいました。今襲われたらどうしよう、と内心ドキドキしながらね。候補者本人に渡せとの命令だったので、“角さんからの陣中見舞いです”と言って手渡しました」(同)

 無論、陣中見舞いは金だけに限らない。

「角さんが何かを配る時の口癖は“圧倒的な差を見せつけろ”。他の議員が一升瓶を1本寄付したら、こちらはケースや樽ごと送る。後援会では誰に何をどれくらい配ったかをしっかりとリストにまとめており、選挙の際には前回と同等かそれ以上の物を送るように、と厳命されていた」

 と言うこの越山会関係者が“運べ”と命じられて最も驚いたのは、

「地元新潟の名産の錦鯉。県内の業者から買った錦鯉をビニール袋に入れ、新潟から目白の角さんの自宅まで運びました。てっきり、自宅の庭に放すものだと思っていたら、そうではなく、事務所の人がどこかに持っていく。後で聞いたらそれは高級な錦鯉だったらしく、支援者の元に運ばれて金に換えられる、とのことでした。現金だとまずい場合などにそうした手法が取られていたようです」

生きたお金の使い方

 ここでざっと角栄の人生を振り返っておくと、1918年に新潟県で生まれ、高等小学校卒ながら代議士となり、国権の頂点に上り詰めたのは、54歳の時。しかし、栄華は長くは続かず、金脈批判で総理を辞し、その約2年後にはロッキード事件で逮捕されてしまう。それでもしばらくの間、闇将軍として隠然たる力を誇示していた角栄が脳梗塞で倒れたのは、竹下登らが創政会を結成した85年。これにより表舞台から完全に姿を消し、失意のうちに他界したのは93年12月16日のことだった。

「金権政治家と揶揄されることも多いですが、角栄さんのお金の使い方は実はとてもきれいで、自分のためではなく、周囲にどんどん渡してしまう。“金は貸したら返ってこないと思え”というのが口癖だった彼はとにかく、“生きたお金の使い方”に長けていた」

 そう語るのは、長らく角栄の番記者を務めた「新潟日報社」の小田敏三社長。

「ある時、角栄さんが何人かの記者を連れて伊豆辺りの旅館に泊まったことがありました。到着すると、彼はまず秘書の早坂(茂三)さんに旅館で働いている女中の人数を尋ねます。早坂さんが答えると、人数分のご祝儀を用意して配ります」

 人心掌握術に長け、“人間学博士”とも呼ばれた角栄の真骨頂が発揮されるのは、ここからだ。

「帰り際には挨拶に来た女将さんに“皆でお菓子でも食べて”と10万円ほど渡す。すると女将さんは“いえ、昨晩のうちに秘書の方から頂いています”と答える。そこで、角栄さんは早坂さんの方を見てニヤッと笑って“お前、気が利くな”と言い、“これは僕からだ”としてそのお金を女将さんに再び差し出すのです。一連の言動で、角栄さんは、早坂さんの顔を立て、女将さんの心も掴んでしまったわけです」(同)

 角栄流の気配りはそれで終わりではなく、

「調理場の方にも向かい、料理人たちに対して“おいしかった。本当にありがとう”と声をかける。料理人たちはまさかそんなことを言ってもらえると思っていないから驚き、出発する時には、皆が見送りのために玄関に出てきて大盛り上がりでした」(同)

大量のピン札を用意

 ロッキード事件後も角栄の無罪を主張し続けた石井一・元自治相は、こんなエピソードを明かしてくれた。

「オヤジが総理を辞めた後、軽井沢で一緒にゴルフをした時、僕がホールインワンを決めたことがあった。するとオヤジはキャディからレストランの調理場のスタッフまで、皆に1万円ずつ配り出した。全部で200人くらいに渡していたと思う。理由を僕が聞くと、“めったに出ないホールインワンが出たんだから、皆に福を分けてあげないと”なんて言ってたな」

 ちなみに角栄はピン札が好きで、毎朝、秘書に大量に用意させていたという。

「新券の場合、通し番号が揃った状態で手元に置かれるので、枚数を数えなくとも通し番号で金額が把握できる。番号を見ただけで、“50万円”と相手に手渡したりする姿はとても印象的でした」(元秘書)

 新潟日報の小田社長(前出)はこう話す。

「目白の自宅にはピン札の千円札も用意されていて、記者を迎えにきたハイヤーの運転手に角栄さんが“お疲れ様”と渡す。そういう心遣いがあると、千円札でも重みが違ってきます」

 もちろん、政治家としてのし上がるためにも金は湯水のごとく使われ、冒頭で触れた通り、選挙の際には、段ボール箱一杯に詰めた“実弾”を自民党候補者に届けることもあった。

「角栄さんは、全議員の4分の1を田中派に出来れば、スムーズに日本の政治を動かせると考えていました」

 と、小田社長は言う。

「全議員の過半数を占める自民党議員の、そのまた半分という考え方です。数にすると130人ほど。それに加えて野党の議員も何人か抱えていた。彼らを従えるために相当な金が必要だったわけです。角栄さんが総理を辞任する時、佐藤昭さんに“場合によっては総選挙になるから金を用意しておけ”と言ったそうで、その額は100億円だったといいます」

「週刊新潮」2018年5月17日号 掲載

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