「大坂なおみ」も知らないファミリー・ヒストリー 母方のルーツに北方領土

「大坂なおみ」も知らないファミリー・ヒストリー 母方のルーツに北方領土

「大坂なおみ」も知らないファミリー・ヒストリー 曾祖母が自伝に綴ったソ連兵「北方領土」収奪の日(1/2)

「黒」なのに勝手に「白」にされる騒動に見舞われた大坂なおみ(21)。言うまでもなく、彼女の父親はハイチ系であり、母親は日本人。そして母方のルーツを辿ると、日本外交最大の懸案のひとつである北方領土問題に行き着くのだった。意外な大坂家の歴史を繙(ひもと)く。

 ***

 山口瞳は自身のルーツに徹底的にこだわり、シドニィ・シェルダンは身内でかためた企業の裏切りの内幕を題材に、同名の小説をものした。

『血族』

 良くも悪くも人は「血の呪縛」から逃れられず、自らの来し方に思いを馳せる。そして、よその家との彼我の差を気にしてみたりする。

 大坂なおみ。言わずと知れた、日本が誇るスポーツ界最大のスターだ。彼女は一体どんな家系のもとで育(はぐく)まれてきたのか。以下は世界一の女性を生み出した大坂家の、「拳銃」と「妾(めかけ)」の悪夢をくぐり抜けてきた壮絶なファミリー・ヒストリーである――。

「北方領土の日」だった2月7日、東京の国立劇場では北方領土返還要求全国大会が開かれていた。安倍晋三総理も出席した同大会では、ひとつの「異変」が起きていた。それは安倍総理の挨拶の言葉に表れていた。

「領土問題を解決して平和条約を締結するとの基本方針のもと、交渉を進めていく」

 昨年まで強調されていた「4島の帰属の問題を解決」という言葉が、慎重に避けられていたのだ。国会答弁でも安倍総理は「我が国固有の領土」「不法占拠」という表現を使わなくなっている。北方領土問題の解決を焦り、プーチン大統領に足元を見られた安倍総理がロシア側に「配慮」しているためだという……。

 ソ連(当時)によって文字通り不法占拠された我が国固有の領土を取り戻すのに、なぜ「配慮」しなければならないのか理不尽さが募る。その上、いわゆる2島“先行”返還論が跋扈(ばっこ)し、4島返還は「高嶺の花」となりつつある。それどころか、結局、プーチンに騙され一島も返ってこないのではないかとの憶測も飛び交う。日本国民の思いはまたしても踏みにじられるのではないか、元島民の切実な思いはいつ結実するのか。

 そんな不安が渦巻く平成最後の年の冬。実はその不安と「大坂家」は無縁ではない。いや、一家は北方領土問題の「当事者」とさえ言えるのだ。

「母の大坂みつよは生前、『勇留(ゆり)島へ帰れたら、こぢんまりとした家を建てて、海を眺めながらゆっくりしたいもんだ』と言っていました」

 こう語る河野(かわの)良子さん(71)は大坂なおみの祖父の妹、つまりなおみの大叔母にあたる。

「4島返還を主張し続けるべきなのか、2島先行返還に切り替えるべきなのか、母が生きていたら意見を聞いてみたかったですね」

 今をときめく大坂なおみの「ルーツ」は北方領土の歯舞群島のひとつである勇留島にあったというのだ。ここで大坂家について、改めて振り返ってみることにする。

曾祖母の自伝

 なおみが活躍する度(たび)にワイドショーに出演し、好々爺然とコメントする祖父の大坂鉄夫さん(74)の姿はお馴染(なじ)みになっているが、彼は北海道の根室漁協の組合長を務めている。その娘の環(たまき)さん(48)と、ハイチ系米国人のレオナルド・フランソワ氏(52)との間の次女がなおみだ。ここまでは広く知られた話である。

 今回さらに大坂家のファミリー・ヒストリーを掘り下げるわけだが、前出の良子さん(六女)、そして鉄夫さん(次男)の母親が、勇留島に帰りたがっていたという大坂みつよさんだ。なおみの曾祖母にあたる。

 2004年に94歳で亡くなったみつよさんは11人の子供を出産し、漁業関係者の間では「大坂のかあさん」と呼ばれ、その豪傑ぶりで鳴らした。それもそのはず、彼女は苛烈な体験を経(へ)て生き延びた、北方領土の元島民だったのである。

 みつよさんが残した自伝『勇留島に萱草(かんぞう)の花が咲く頃』(以下、自伝)によると、彼女の実家はもともと根室で雑貨店を営んでいたが倒産し、家財道具に赤い紙を貼られて差し押さえられ、一家は逃げるように勇留島に移住する。1921年のことだった。

〈もちろん電気もないランプの生活。/入り口には戸がない〉

〈火の気のない夜は、息が凍って布団の襟に霜がガチガチになっている〉(いずれも自伝より)

 といった具合に、一家は極寒での貧しい生活を強いられた。

「セーターの糸をほどいてそれを湯気にあてて、また他のものを編み直したと母から聞きました。島では毛糸が貴重品だったから、何度も再利用していたんでしょうね」(良子さん)

“海に入って死のう”

 こうした苦しい暮らしをしながらも、

〈あの赤紙事件(注・差し押さえのこと)以来私の気持の中には「今に見ておれ、きっと仇をとってやる」というきもちがずーっとあった〉(自伝より)

 というみつよさんは、一家の生計を支えるために、

〈私が櫓を押して海に出るんです。/(中略)海老とかカレイとかコマイなどの小魚類を刺し網を使ったりして獲りました。19歳くらいまで毎日毎日そんな生活の繰り返し〉(同)

 みつよさんの長女の三浦幸子さん(88)が振り返る。

「病院に行くにも、根室から来る定期船を待たなければならず、それも冬になると海が凍って途絶える。雪と氷に閉ざされる11月から2月までは、家に籠(こ)もりっきりの生活でした」

 そんな厳しい日々を送りながら、「今に見ておれ」精神で、みつよさんたちは勇留島でも島唯一の雑貨店を開業。どうにか軌道に乗ったところで終戦を迎える。

「島にはラジオのある家がほとんどなく、母(みつよさん)は玉音放送を聞きに行き、帰ってきて戦争に負けたと教えてくれました。続けて母は、『殺されるかもしれないから、その前に皆で数珠つなぎになって海に入って死のう』と言いました。ソ連兵に殺されるくらいなら、その前に自分たちで……そう思っていたんだと思います」(同)

 一家心中まで考えたというみつよさん。実際、戦後に待ち受けていたのは、ソ連兵による恐怖だった。

(2)につづく

「週刊新潮」2019年2月21日号 掲載


関連ニュースをもっと見る

関連記事

おすすめ情報

デイリー新潮の他の記事もみる
主要なニュースをもっと見る
社会のニュースをもっと見る
経済のニュースをもっと見る
政治のニュースをもっと見る
国際・科学のニュースをもっと見る
エンタメのニュースをもっと見る
スポーツのニュースをもっと見る
トレンドのニュースをもっと見る
生活術のニュースをもっと見る
地域のニュースをもっと見る

スポーツ アクセスランキング

ランキングの続きを見る

スポーツ 新着ニュース

新着ニュース一覧へ

総合 アクセスランキング

ランキングの続きを見る

東京 新着ニュース

東京の新着ニュースをもっと見る

東京 コラム・街ネタ

東京のコラム・街ネタをもっと見る

特集

特集一覧を見る 動画一覧を見る

記事検索