身長153センチ、体重39キロ。純白のレオタードに身を包んだ14歳のルーマニアの少女は、危なげのない正確無比な演技で史上初の10点満点を7回も叩き出し、人々の度肝を抜いた。

 1976年(昭和51年)のモントリオール五輪で日本女子体操の代表選手だった松久ミユキさんは、間近で見たコマネチをこう語る。

「『白い妖精』という呼び名の通り、キュートで天使のような美しい身体でした。演技は今見ても、研ぎ澄まされた感じが伝わってきます。手先足先にまで神経が行き届いていて、視線、立ち姿、どれをとっても完璧でした。だから彼女が演技を始めると、会場内は水を打ったようにシーンとなりました」

 そしてコマネチは、個人総合、種目別の段違い平行棒、平均台で3個の金メダルを獲得。だが彼女は笑わない金メダリストだった。

「10点満点も、本人には当然だったのでしょう。それだけ練習を積み重ねてきたという自負があったのではないでしょうか」

 実は松久さんは、モントリオール五輪以前に、コマネチとは知らずにその練習風景を見たことがあった。74年、ブルガリアのヴァルナで世界体操選手権大会が開かれた時のことだ。

「ルーマニアにすごい選手がいるという噂を聞き、朝4時からルーマニア人選手たちが練習している施設に駆けつけました」

 扉を開けると、そこでは6人の選手が黙々と練習をしていたが、その中でひときわ目立ったのが平均台の練習をしている選手だった。

「平均台の上でバランスを崩すこともなく、宙返りも着地もピタッと決めて完璧。驚いたのは、それを10回連続、ノーミスで繰り返したことです。後にあれがコマネチだとわかりました。当時から演技の完成度はずば抜けていました」

レオタードの交換

 松久さんは、クールな彼女が垣間見せた少女らしい素顔をも、モントリオール五輪の最中に目撃していた。

 夜、滞在先の松久さんの部屋を叩く音がするので開けると、コマネチを始め3人のルーマニアの選手が立っていた。そして持参したレオタードを見せて、「チェンジ、チェンジ」と言う。日本のレオタードと交換したいようだった。

「日本の試合用レオタードは、ローズピンクの地に白抜きで桜の花をあしらったとっても可愛らしいデザインでした。このレオタードを差し出すとコマネチは、今まで見たこともない笑顔で顔をくしゃくしゃにして、『サンキュー、グラシアス、アリガトー』と叫んで飛びついてきました」

 代わりにコマネチも自分のレオタードを差し出したが、脇の部分がすすけた粗末なものだった。

「一目見て、ルーマニアの経済状態は厳しいんだなと感じました」

 松久さんは気の毒に思い、このレオタードを受け取らなかった。

 その祖国から、89年11月、コマネチはアメリカに亡命した。一説には、当時の独裁者チャウシェスク大統領の次男ニクが愛人関係を迫ったために亡命したとも言われたが、コマネチ自身はそれを否定している。彼女はその後、ロス五輪・男子体操金メダリストのアメリカ人と結婚し男児を儲けた。

 松久さんは今、「後輩のためにもあのレオタードをもらっておけばよかったかな」と少し残念に思っている。

「週刊新潮」別冊「輝かしき昭和」追憶 1964-1989 掲載