1969年(昭和44年)、横綱・大鵬は連勝を45まで伸ばし、戦前に双葉山が記録した69連勝を追っていた。誰もが連勝記録を塗り替えるのは大鵬以外にないと期待していたが、連勝は3月場所の2日目に途切れてしまう。あろうことか、偉大な記録を阻んだのは“世紀の大誤審”だった。

 大鵬の連勝は前年の9月場所2日目から始まっていた。11月場所、1月場所をともに全勝優勝で飾り、連勝記録を44まで伸ばして臨んだ3月場所だった。

 初日の相手は小結・藤ノ川。激しい突っ張りを見せた藤ノ川だったが、大鵬は動じることなく、左から強烈な上手出し投げで一蹴。連勝記録を45まで伸ばした。

 2日目の対戦相手は初顔合わせとなる戸田。取組前、大鵬を育てた二所ノ関親方が「序盤戦でいちばん注意しなければならない相手」と言っていた平幕である。

 この取組を、朝日新聞は次のように報じた。

〈戸田は立上がるなり右ノドワ攻めに出た。大鵬は東土俵に後退、このノドワをはずそうとしたがなかなかはずれない。戸田が右から突落す。足が開きすぎた大鵬はからだのバランスをくずし、前へのめる。戸田はそこをすかさず攻めた。大鵬は土俵をつまり、懸命に右へ回って逃げる。このあたり大鵬のしぶとい勝負根性で、右からはたいた。戸田は上体がくずれ、右足が大きくはねた。そして同時に大鵬も腰から落ちるように土俵を割った〉(3月11日付)

 行司の式守伊之助は土俵際でのはたき込みを認め、大鵬に軍配を上げた。

 これに物言いがついた。

 5人の審判による協議の末、行司差し違えで戸田の勝ちとの裁定を下した。大鵬の連勝記録が45でストップした瞬間だった。

ビデオ判定導入へ

 場内のどよめきを尻目に花道を引きあげる大鵬は、仕度部屋に戻るなり、大きく嘆息したという。

「あーあ、はりつめていた気持ちが、いっぺんにしぼんでしまった」

 俺の足は(土俵に)残っていたと思うんだが――と大鵬は悔しさを滲ませた。

 裁定は差し違えだが、式守伊之助も、自分の軍配に絶対の自信を持っていた。

「戸田の右足が、明らかに大鵬より早く土俵の外へ出た」

 大金星をあげた戸田も、「自分の足が出たので負けたと思った」と語っている。それにもかかわらず、裁定は覆らなかった。

 翌日の毎日新聞は「疑問残す判定 審判部の黒星」と題した記事を掲載し、戸田の足が土俵の外に出ている決定的な写真を添えた。

 物言いをつけた審判部の誤審は一目瞭然だった。

 ビデオの導入や写真判定を求める世論に対し、当初、武蔵川理事長(当時)は、

「ビデオなんてものは参考にならない」

 と強気の姿勢を見せていたが、世論に抗しきれず、5月場所からのビデオ判定導入を発表した。

 現在では当たり前になったビデオ判定だが、きっかけは大鵬の連勝記録を阻んだ世紀の大誤審だったのである。

「判定ではっきり決まったのだから仕方ない。ああいう相撲をとってしまった自分が悪いんだ」

 取組後、記者団の質問にこう応えた大鵬だが、以降、連勝記録が途絶えた一番については固く口を閉ざした。

「週刊新潮」別冊「輝かしき昭和」追憶 1964-1989 掲載