今年2月11日に84歳でこの世を去った野球解説者の野村克也さん。現役時代には史上二人目の三冠王を達成するなど、輝かしい成績を残した名選手だった。そこで、今回は、野村さんが演じた日本シリーズでの“激闘”を振り返ってみたい。(以下、敬称略)

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 南海時代の野村克也は、日本シリーズに6度出場しているが、1959年、64年と2度の日本一を経験したにもかかわらず、MVPは一度もない。最後の出場となった73年に敢闘賞を貰ったのが唯一の受賞で、通算打撃成績も122打数28安打18打点5本塁打の打率2割2分9厘。この意外な数字について、野村自身は、相手がシーズンで対戦しないセ・リーグの投手だったことを理由に挙げ、「研究をしていないピッチャーだから、なかなか打てなかったということだ。しかし、その本当の理由を話すことは、企業秘密を話すことになってしまうので、一切、弁解できなかったのである」(「プロ野球奇人変人列伝」詩想社)と説明している。

 日本シリーズでの野村は、打者としてよりも、59年の日本一の際に4連投の杉浦忠の血染めのボールを受けた話や64年の“外国人シリーズ”(阪神戦)で3勝を挙げたスタンカをリードでアシストするなど、“縁の下の力持ち”として貢献したイメージが強い。

 そんな野村が打者として日本シリーズで最も活躍したのは、6試合で3本塁打を記録した61年。だが、3本中2本が勝利につながったにもかかわらず、日本一になれなかったため、賞ひとつ貰えなかった。

 このシリーズで南海が日本一を逃したのは、第4戦での幻の勝利、今も語り継がれる“円城寺事件”が大きく影響している。

 2年ぶりの巨人との対決、南海は第1戦(大阪)をスタンカの3安打完封で先勝するが、第2戦は4対6、第3戦は4対5と僅差で競り負け、1勝2敗で問題の第4戦(後楽園)を迎える。

 終盤まで1対2と劣勢の南海は、9回2死から広瀬叔功の左越え2ランで3対2と一気にひっくり返す。だが、その裏、3番手の祓川正敏が先頭の渡海昇二に死球を与え、いきなりピンチ。逃げ切りを図る鶴岡一人監督は、第3戦で先発したスタンカをリリーフに投入した。

 マウンドで闘志をむき出しにすることから、“赤鬼”の異名をとるスタンカは、代打・坂崎一彦を三振、1番・国松彰を一ゴロに打ち取り、あっという間に2死。高林恒夫の代打・藤尾茂も一塁と本塁の間に高々と飛球を打ち上げた。

 ところが、一飛でゲームセットを確信した野村が、喜色満面でマウンドに向かおうとした直後、なんと、名手・寺田陽介がミットに当てて、ポロリと落球してしまう。これが暗転劇の序曲だった。

 まさかのエラーで息を吹き返した巨人は、次打者・長嶋茂雄の緩い三ゴロも小池兼司のファンブルを誘い、内野安打で2死満塁。「ここが踏ん張りどころ」と、スタンカは気を取り直して、4番・宮本敏雄をカウント1-2と追い込むと、自信を持って真ん中低めにウイニングショットのフォークをズバッと投げ込んだ。外角寄りに落ちる球だったが、捕球した野村は「はっきりしたストライク」と確信し、飛び上がった。マウンドのスタンカも万歳ポーズである。

 ところが、円城寺満球審の判定はまさかの「ボール!」。野村は振り向いて「ストライクやないか!」と抗議し、スタンカも怒りの形相凄まじく、両手を大きく振り上げて突進した。ベンチから鶴岡監督をはじめ、コーチ、全選手も飛び出してきた。だが、円城寺球審は「ふつうならストライクだが、風があったので沈んだ。それでボールと判断した」と譲らなかった。

 結局、カウント2-2で試合再開となり、気落ちしたスタンカの5球目は、棒球になった。すかさず宮本が右前にはじき返し、同点の走者・渡海に続いて二塁走者・藤尾もサヨナラのホームへ。その直前、本塁カバーに走ったスタンカが円城寺球審に体当たりをかます。「あの判定さえなければ」という怒りからだった。

 円城寺球審は横転しながらも「ゲームセット!」を宣告したが、直後、一度ベンチに戻りかけたスタンカが再びつかみかかり、蔭山和夫、松井淳両コーチと南海ナインも取り囲むようにして小突き回した。

「ミスジャッジが10ぐらいあったと思う」(松井コーチ)の言葉に代表されるように、6回に大沢昌芳(啓二)、8回に森下整鎮がいずれもハーフスイングで三振を取られるなど、巨人寄りのジャッジが相次ぎ、溜まりに溜まった不満が最後の最後で爆発した形だ。

 理由はどうあれ、コーチや選手が審判を集団暴行するという日本シリーズ始まって以来の不祥事は後味の悪さを残した。

 判定に助けられる形で、9分9厘負けていた試合を拾った巨人は、シリーズの流れをもガッチリ掴み、4勝2敗で日本一に。誰が詠んだか、「円城寺 あれがボールか 秋の空」の一句も話題になった。

 もし、宮本への4球目の判定がストライクなら、2勝2敗のタイになり、シリーズの行方はわからなくなっていた。南海が日本一になっていれば、MVPは野村かスタンカのいずれかになっていた。「あの球がストライクであったなら、間違いなくシリーズの流れはこちらに来たはずだ」と信じる野村が、円城寺球審を恨んだのは言うまでもない。

 だが後年、「ストライク捕球の際に早めに腰を浮かせたことが原因で、球筋がよく見えなかったのではないか」と思い当たった。196センチの長身から投げ下ろすスタンカの球を見慣れていない円城寺球審に、はっきりストライクとわかるように捕球しなかったことを「私のミスだ」と悔いたのである。日本一とMVPは幻と消えたが、「判定を逆恨みしていた昔の自分が恥ずかしい」(「負けに不思議の負けなし」朝日文庫)と素直に反省できるようになったのは、まさに歳月がもたらした“成長”だった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」上・下巻(野球文明叢書)

週刊新潮WEB取材班編集