過去に世間を騒がせたニュースの主役たち。人々の記憶が薄れかけた頃に、改めて彼らに光を当てる企画といえば「あの人は今」だ。今回紹介するのは、2010年に「たばこを吸う2歳児」として話題になった、インドネシアの赤ん坊のその後である。

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 小麦色の肌に、愛嬌のある笑顔。丸々と肉のついた体形は少し太り過ぎかとも思うものの、「成長が早いの」と言われれば「まあそんなものか」と納得してしまう。

 ところが、この赤ん坊の指の間からモクモクと上がる煙を見て、世界中が卒倒した。火のついたたばこが握られていたのである。

 この子の名前は、アルディ・スガンダ君。インドネシアの南スマトラ州に住む、まだ2歳の男の子だった。

周囲の大人たちは談笑しながら撮影

 アルディ君の衝撃的な喫煙映像が世界を駆け巡ったのは、2010年のこと。ある時は、パンツ一丁でおもちゃの車にまたがり「左手にハンドル、右手にたばこ」というスタイルで、時折、空を見上げて煙を吐き出す。またある時は、椅子に深く腰掛けて、火のついたたばこを落ち着きなく吹かしながら大笑いする。一方で別のカットでは、哺乳瓶のミルクをラッパ飲みしている。そのありさまはまったく滑稽というほかなかった。

 だが、何より世界が驚いたのは、たばこを吹かすアルディ君を、周囲の大人たちが談笑しながら撮影しているという奇々怪々な光景であった。これは虐待ではないのか――。世界は慌てて現実に引き戻されたのである。

信じられないインドネシアの喫煙事情

 アルディ君がたばこを吸い始めたのは、1歳半の頃だったといわれる。それが1年とたたないうちに、1日数箱を消費する立派なチェーンスモーカーに成長してしまったというわけだ。

 当初は「父親がたばこを与えた」などと報じられたが、実際は少し事情が異なる。野菜等の販売を生業にしていた母親が息子を市場に連れて行った際、目を離した隙に、周囲の大人がアルディ君にたばこを教えた可能性が高いという。

 大人が平然と赤ん坊にたばこを与えるという、日本ではおよそ信じられないインドネシアの喫煙事情。

 この驚くべきたばこ文化について、同国で現地コーディネーターを務める西川のり子氏はこう解説する。

「インドネシアは東南アジアのWHO加盟国で唯一、たばこの規制に関する条約に参加していない国で、事実上、規制がないに等しいのです。アルディ君が育ったのは、インドネシアの中でも決して裕福とはいえない地域。このような地方では、喫煙に対する問題意識がさらに低いこともままあります」

「学校内で堂々と喫煙する生徒も」

 特に未成年者の喫煙は社会問題にもなっていて、

「インドネシア国内の喫煙者数は世界2位で、13〜15歳の喫煙者が26万7000人以上に及ぶという報道もありました。たばこの値段は上がっていますが、アルディ君の騒動後も、未成年の喫煙が減る気配はありません。例えば、首都・ジャカルタでは自転車で飲み物を売り歩く人たちがたくさんいますが、この人たちは同時にたばこの“バラ売り”もしている。インドネシアの学校は基本的に給食がなく、子どもたちはお金を持たされて学校周辺のお店で昼食を取る。その際に余ったお金でバラ売りのたばこを調達したりするのです。高校生になれば、学校内で堂々と喫煙している生徒も珍しくありません」

2回の厳しいリハビリ

 喫煙無法地帯ともいえる環境により、1歳半にしてタバコの味を覚えてしまったアルディ君。映像が公開された直後、事態を重く見た政府の主導で、アルディ君は故郷を離れ、ジャカルタで「禁煙セラピー」を受けることになった。

「インドネシアを代表する心理学者のもと、遊びや運動、食事などで吸いたくなる気持ちをそらしながら、毎日少しずつタバコの本数を減らしたそう。チェーンスモーカーだったアルディ君は吸いたい衝動から壁に頭をぶつけたり、目まいがしたりという依存の症状を抑えるのが大変だったといいます。さらに、過酷な治療でアルディ君は肥満が進み、禁煙に成功した後は過食を抑えるための2度目のリハビリまで必要だったと報じられていました」

 だが、2回の厳しいリハビリが功を奏し、アルディ君は学校で優秀な成績を収める、健康な少年に生まれ変わったという。

「アルディ君の母親もメディアのインタビューで“昔はたばこをもらえないと泣いていた息子が、たばこに見向きもしなくなり、性格もフレンドリーになった”と喜んでいました」

学校を中退して、母親の仕事を手伝い

 禁煙後は「医者になって皆の健康を守りたい」と夢を語ったアルディ君。勉強に運動に、充実した学生生活を送っているとも思えたが、気になる報道も。

 昨年、アルディ君に直撃取材を行ったドイツの週刊誌によれば、〈アルディ君は学校を中退して、市場で母親の仕事を手伝っている〉。暮らしは決して楽ではないようだが、彼は「禁煙セラピー」の心理学者と今も連絡を取り合い、〈たばこよりもチョコレートが好き〉という。

 どうやら、チェーンスモーカーに逆戻りする心配はなさそうである。

「週刊新潮」2024年5月2・9日号 掲載