前回に引き続き『こうして歴史問題は捏造される』(有馬哲夫・著)から、慰安婦問題についての解説を引用しよう。今回のテーマは「強制連行」である。日本軍がやったこと、やらなかったこと、やってないのにやったと言われていること等々、議論はかなりややこしい。ファクトベースに整理してみよう(以下、同書第2章「『南京事件』『慰安婦問題』の論議を冷静に検討する」より引用)

「強制連行」はあったのか

 ではもっとも問題とされている、女性が「日本軍によって強制連行」されて「慰安婦」にされたという点はどうでしょうか。

 実は、これは当てはまるケースと当てはまらないケースの両方があります。当てはまるケースというのは、戦地や占領地で、とくに戦争末期に敗走する日本軍の一部が起こした戦争犯罪です。

 そしてこちらがとても重要なのですが、当てはまらないケースというのは、日本本土および朝鮮半島、台湾などで、日本人、朝鮮人、中国人の勧誘によって、本人または本人の親族の同意のもとに慰安婦になり、日本軍の慰安所に送られたケースです。

「日本軍による強制連行」があったと主張する人は、この両者を意識的に混同します。「強制連行」はなかったというと、戦地や占領地であるフィリピンや東インドなどではあった、だから朝鮮半島でもあったと主張します。確かに戦地や占領地などでは「強制連行」が起こったのですが、朝鮮半島や台湾や日本では大規模で組織的なものは起こり得なかったのです。なぜなら、日本の領土にはそれを禁じる法律があって、それは官憲によって守られていたからです。

スマラン慰安所事件

 まず、当てはまる戦争犯罪のケースのほうですが、「日本軍の強制連行」によって現地女性が慰安婦にされたというケースとして典型的なのは、現在のインドネシアにあたる地域で起きた「スマラン慰安所事件」です。このケースは、日本軍が軍事占領していたスマラン島で収容所にいた女性が日本軍のある将校の独断で開いた慰安所に入れられ、約2カ月間日本軍の将校にレイプされたというものです。

 よく日本軍だけがこのようなことをしたというプロパガンダを見ますので、早めに断わっておくと、ドイツの研究者・ジャーナリストであるバーバラ・ヨールは「第2次世界大戦中やその末期、そして戦争直後には、あらゆる軍隊の所属員による強姦が発生した」と書いています。これが正しい歴史認識です。もちろん、だからといって筆者は日本軍のそうした行為が許されるとは毛頭思ってはいません。

 また、「スマラン慰安所事件」では被害者は完全に強制によって慰安所に送られたのですが、興味深いことに、同じ慰安所には、自らの意思で来ていた女性もいました。

 慰安所も、日本軍が現地の売春施設を借り上げる場合もあり、新たに設置した慰安所にもともと売春婦だった女性を採用する例もあり、村や町の長に適当な女性を差し出させたケースもあり、さまざまです。しかし、「日本軍による強制連行」を唱える人は、自分の主張にあてはまらないケースは無視し、あてはまるケースにだけ言及します。

「スマラン慰安所事件」被害者の事例では、周辺にいた第三者の客観的証言があるうえ、件の将校らが戦争裁判にかけられたので、裁判記録も存在します。裁判記録は、被告、原告双方の証言とそれに対する反対尋問があり、また公的機関が残した公文書なので反証可能性を持った資料といえます。この資料群によってこの女性が長期間レイプされたことは確かであり、それを日本軍人がしていたことは明らかなようです。

 ただし、この場合の加害者は、上層部の意向に反して、独断で被害者を「慰安所」に入れた将校であり、軍というよりは個人の犯罪だと考えてもいいと思います。日本軍を代表していないからです。事実、この将校と周辺の関係者だけがB級戦争犯罪者として裁かれ、首謀者に関しては死刑になっています。さらに日本政府も被害者およびオランダ政府に対し謝罪して、被害者の現在の心情はともかく、政治的には決着しています。

 スマラン慰安所事件のほかにも、太平洋の島々や東南アジアの国々やフィリピンなどの戦闘地域や軍事占領地域で同じような事件が起こっていたという証言があります。

 現地でゲリラ活動をしていた女性が、つかまり、監禁され、そこでレイプされたという例もあります。いずれにせよ、これらは慰安婦ではなく、戦地や占領地でのレイプ、監禁といった個人的戦争犯罪の事例です。

 また、純然たるレイプや「強制連行」や監禁ではなくとも、村人や家族の安全や食料のために、日本軍の要求に従って「慰安所」に入ったというケースもあったようですが、この場合は「強制性」の認められるレイプであり個人的戦争犯罪とみていいと思います。

 同様のケースは少なくともソ連侵攻の際のドイツ軍に見られます。ドイツ軍がソ連に攻め込んだとき、フランスやポーランドなどと違って、まったく売春宿がなかったので、「軍事売春所」を作らなければならなかったのですが、実はそこでドイツ兵の相手をした女性はみな「強制連行」されてそこに来たのではありませんでした。ドイツ軍が持っている豊富な物資と食料、村人や家族の安全などを考えて、一定の「強制性」のもとに募集に応じた女性もいたのです。

朝鮮人慰安婦に「強制連行」はなかった

 では当てはまらないケースはどうでしょうか。日本軍が、戦地でのレイプと性病を防止するためとはいえ、計画的・組織的に慰安所の設置にかかわったことは否定できません。そのために日本本土はもちろん、朝鮮半島、台湾、満州、および占領地から数万人の女性を集め、慰安所に送り込んだというのも事実です。

 では、朝鮮半島、台湾において慰安婦を集める際、戦地や占領地のような拉致同然の強制連行はおこなわれたのでしょうか。

 その答えは、個々のケースで例外はあった可能性もあるが、その記録は今のところでてきていない、基本的に日本の法律や規制が施行されていた日本の領土では、なかったと考えられる、というものです。

 最初は日本軍による「強制連行」があったといっていた慰安婦の研究者の吉見義明ですら、現在では「強制連行」、「強制」を否定し、かわりに「広義の強制」があったという主張に転じています。 反証可能性を持つ資料を踏まえた歴史議論としては、「強制連行」はなかったという結論に落ち着いています。

 ただし、朝鮮人・元「慰安婦」(韓国と北朝鮮両方とも)の方々および「韓国挺身隊問題対策協議会」(慰安婦問題で日本政府に対して賠償を求める団体、以下挺対協とする)は、証言によって、「強制連行」があったと主張し続けています。しかし、研究者の秦郁彦も指摘するように、あとで検証することが可能で、したがって反証をあげることも可能な5Wなどにはなぜか触れません。ディテールはなく、ただどのように自分が「強制連行」されたか、どのように「性奴隷」的扱いをうけたかという1Hだけを連綿と語っているのです。

当時の法律では「強制連行」はできなかった

 彼女たちにとって都合の悪い反証は当時の日本の法律です。当時の日本では売春は合法的ビジネスでした。現在でもヨーロッパのドイツ、スイス、オランダでは売春は合法です。そのかわり、売春する女性が奴隷同然の扱いを受けないよう、また性病が広まらないよう、さまざまな規制が行われています。

 当時の日本にも「娼妓取締規則」がありました。これは娼妓の年齢制限を18歳以上とし、廃業の自由を認め、検診を義務付けるものでした。

 とくに廃業の自由は一生奴隷のように拘束されることがないよう盛り込まれたものでした。奴隷とは、奴隷であることをやめることができない人です。奴隷であることをやめる自由が与えられたならば、仮に借金が残ったとしても、もはや奴隷とは呼べません。

 朝鮮半島でも日本の支配に入ることになって「貸座敷娼妓取締規則」が施行されました。日本本土との違いは、年齢制限が1歳低いことと、廃業の自由規定が少しゆるくなっていることでした。しかし、日本統治以前の朝鮮半島の売春制度は、文字通り「性奴隷制」だったので、日本式の法律が施行されたことで、女性たちの待遇はよくなったとはいえても、悪くなったとはいえません。

 台湾の場合は、年齢制限が朝鮮よりさらに1歳低い16歳以上になっていましたが、奴隷売買同然の女性の調達を違法としていたという点では同じです。

 当時の日本の領土では、この法律のもと、本人が警察に出頭し、親ないしは戸主の承諾を得ていることを書面で証明しないと「娼妓」になることを許可されないのです。奴隷狩りのような「強制連行」はもちろん、だまして慰安婦にすることも法律に触れ、警察の取り締まりの対象となり、後で見るように実際に厳重に取り締まられていたのです。

 それで思い当たるのは、「慰安婦」として証言している金学順や文玉珠などが、わざわざ満州や中国にいって「慰安婦」になっていることです。このことは朝鮮半島でも日本本土と同じような法律が施行されていたために、「慰安婦」になるにはわざわざ日本の領土である朝鮮半島を離れなければならなかったことをうかがわせます。

 このように法的制限があった状況では、20万人もの朝鮮人女性を「強制連行」、または「強制」によって慰安婦にすることはできません。

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 ここまでを読んで「法律で決まっていたとしても、軍隊は破っていたはずだ」と思う方もいることだろう。「戦前の日本=悪の権化」のように考えればそうなる。実際はどうだったのか、次回も公文書をもとに見てみよう。

デイリー新潮編集部