「我々が経験した中で最悪の攻撃だ。真珠湾や世界貿易センタービル(2001年の米同時テロで崩壊)よりもひどい」

 トランプ米大統領は5月6日、ホワイトハウスで記者団に対し、新型コロナウイルスの被害をこのように語った。トランプ大統領はこのところ中国湖北省武漢市の中国科学院傘下の研究所が新型コロナウイルスの発生源との見方を強めており、「発生源の中国で食い止められるべきだった」と改めて中国を批判した。

 新型コロナウイルスの死者数が4月末時点でベトナム戦争で命を落とした米軍兵士の数を上回る事態になるなど米国でのダメージが極めて深刻である。

 トランプ大統領は4月27日、新型コロナウイルスに関して、中国に損害賠償を請求する可能性を示唆しており、政権内で報復措置に関する複数の選択肢が検討されている。

 中国側も米国の不穏な動きについて敏感に反応している。

 5月5日の香港の英紙『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』は「中国に損害賠償を請求しようとしているトランプ大統領の行動は宣戦布告と同じだ。新型コロナウイルスを巡る中国と米国の舌戦から出てくる辛辣な言葉は、両国が朝鮮半島とベトナムで戦争を交えた1950年から1960年代の冷戦を連想させる」とする内容のコラムを掲載した。

 トランプ政権の対中政策は、政権内の対中強硬派とビジネス推進派の舞台裏での綱引きで決まってきたが、現在の状況下では対中強硬派が勢力を増しており、世界のサプライチェーン(産業供給網)から中国を排除する取り組みが加速している(5月4日付ロイター)。

 英国の歴史学者ニーアル・ファーガソン氏が2007年に米国と中国の密接不可分な経済関係を「チャイメリカ(Chimerica)」とたとえたが、状況は一変し、米中経済のデカップリング(切り離し)が後戻りできない状況になりつつある。

 グローバリゼーションの動きも戦後で最も壊滅的な打撃を受けている。WTO(世界貿易機関)は4月8日、「今年の国際貿易は最大で32%減少する」と見通しを示した。

「新型コロナウイルスに端を発する米中新冷戦が始まりつつある」との懸念が高まる中、5月4日付英紙フィナンシャル・タイムズはコラムで「最悪の場合、米中両国のすべての怒りは単純な冷戦を越えて、本当の武力衝突につながる可能性がある」と警告を発した。

 ここで経済と戦争の関係について見てみたい。

 ニューヨーク州立大学ビンガムトン校のソロモン・ポラチェック教授は1980年に「紛争と貿易」と題する論文を発表し、その中で「貿易の規模が2倍になるごとに敵対行為が行われる割合が20%ずつ減少する関係がある」ことを明らかにした。

 ポラチェック教授はその理由を戦争の勃発によって貿易の利益が消滅する恐れが戦争を抑止するメカニズムとして機能することに求めたが、貿易の水準が高くても貿易量が減少傾向になると戦争抑止効果が生じにくいことも明らかにしている。

 米中の経済的な結びつきは両国の武力衝突のコストを引き上げたが、それによって完全に衝突の可能性を排除することはできないのである。

 一方、国際政治学では「政治はいつも経済を打ち負かす」とする主張が根強い。

 その典型例として挙げられるのは、20世紀前半の欧州である。

米中が激突する舞台は…

 英国人政治家ノーマン・エンジェルが1910年に『大いなる幻影』を上梓し、「20世紀初頭の欧州では英国経済とドイツ経済の一体化が進み、戦争の遂行は『大いなる幻影』となった」と主張したが、4年後に勃発した第1次世界大戦でその指摘は全くの誤りであったことが明らかになった。

 米中関係に話を戻すと、米国の国際政治学者グレアム・アリソン氏が2013年6月、「ツキディデスの罠」と称して、「新興国の台頭が覇権国を脅かして生ずる構造的なストレスから米国と中国が衝突する」と主張したことが思い起こされる。

 ツキディデスとは、古代ギリシャで覇権を握っていたスパルタが、急激に勢力を伸ばしてきたアテネを抑え込むために起こしたペロポネソス戦争を「戦史」としてまとめた歴史家ツキディデスのことである。古代ギリシャでも疫病(天然痘や麻疹の可能性)が蔓延しており、アテネの指導者ペリクレスが疫病に倒れたことが勝敗の分かれ目になったと言われている。

 米国内でも「コロナ後には世界の秩序が大きく変化し、中国の覇権が鮮明になる」と主張する論調が出てきており(5月7日付日本経済新聞)、これに危機感を抱いた米国政府が自らの覇権を固守するためなら短期的な経済的利益を犠牲にしてでも、「中国潰し」を断行する可能性が高まっているのではないだろうか。

 筆者は軍事専門家ではないが、米中が激突する舞台は「南シナ海から台湾にかけての海域」か「朝鮮半島」ではないかと懸念している。

 南シナ海については、新型コロナウイルスの混乱に乗じて軍事要塞化の動きを加速しており、米軍はこれを牽制するため「航行の自由作戦(度を超した海洋権益を主張していると判断した国の海域を対象に米軍の艦船等を派遣する作戦)」を展開している。さらに米軍は中国側の神経を逆なでするかのように台湾との軍事面の連携を強化しており、一触触発の状態にあると言っても過言ではない。

 朝鮮半島についても、金正恩の健康問題が深刻化すれば、事態は一気に流動化する可能性が高い。

 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は4月27日、2019年の世界の軍事費を明らかにしたが、トップ3に初めてアジアの2カ国がランクインした。中国(2610億ドル)とインド(711億ドル)である。21世紀に入りアジアでは、中国の軍拡の動きに煽られる形で周辺国も一斉に軍拡に舵を切っている。

 第1次世界大戦はスペイン・インフルエンザで幕を閉じたが、米中間の軍事衝突は新型コロナウイルスのせいで幕を開けてしまうのだろうか。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月12日 掲載