豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス号」の乗客乗員700名以上が新型コロナウイルスに感染し、3カ月以上にわたって横浜港に停泊し続けたことは記憶に新しい。航行中にウイルス禍に見舞われた世界の大型クルーズ船は数多く、じつに数百隻・船員およそ10万人が、数カ月にわたり、洋上に足止めされたままだという。船員の多くは、フィリピン、インド、インドネシア、そして中国人だ。アジア情勢に詳しいジャーナリストの末永恵氏が、中国人船員の残酷物語を取材した。

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 ダイヤモンド・プリンセス号の「洋上のパンデミック」は、世界に大きな衝撃を与えた。第1号のコロナ陽性乗船者が発覚してから5カ月、ダイヤモンド・プリンセス号は、現在、フィリピンのマニラ湾に停留している(米『クルーズ・ロー・ニュース』6月19日付)。乗務員の下船許可を待っている状況だ。

 5カ国に入港拒否されたクルーズ船「ウエステルダム号」を受け入れたカンボジアのような国もあるが、多くの国は国境封鎖などで、クルーズ船寄港と乗組員の上陸禁止措置をとっている。そんな中、4月にフィリピン政府は、「乗組員にフィリピン国籍者がいれば、外国籍のクルーズ船でも入港を認める」と発表(英『エコノミスト』5月23日付)した結果、フィリピン周辺の海には、行き場を失った世界中のクルーズ船が停泊しているという。

 世界のクルーズ船市場は、およそ450億ドル(約5兆円)規模といわれている。最大の顧客数を誇る米国は、米国疾病予防管理センター(CDC)の勧告に従い、3月13日から7月24日まで自国の海域でのクルーズ船の運航を禁止。年間1000万人の旅行者がいるというクルーズ船王国のスペインも、6月16日から大型客船の無期限運航禁止を決めた(英『デイリー・テレグラフ』6月17日付)。長引くであろうコロナでのダメージに見舞われたクルーズ船業界だが、ここにきてさらなるイメージダウンを招きかねない事態が起きているのだ。

 国連の国際労働機関(ILO)は6月8日、「コロナパンデミックで世界の洋上で身動きがとれないクルーズ船や貨物船の乗務員が15万人から20万人いるだろう」との声明を発表。ガイ・ライダー事務局長はこれを「許容できない事態」とし、船員の心身の健康や海上安全確保のため、各国政府に早期の船員交代を要請したことを明らかにした。国際海運会議所(ICS)や国際労働組合総連合(ITUC)などが、アントニオ・グテーレス国連事務総長に書簡を送り、船員の自殺・自傷行為についての懸念を表明、緊急対応の必要性を訴える事態にもなっている。

 一方、英『エコノミスト』は6月18日付の誌面で、8カ月にわたり洋上を漂流する船の船長に単独インタビューした記事を掲載。この船は、南大西洋からバミューダ海峡を経てシンガポールに4カ月前に入港するはずだったという。記事によれば、海洋貿易とクルーズ船業務に従事する世界の船員120万人のうち、25万人分の雇用にまつわる契約は、すでに切れているという。つまり、数カ月以上も、無給のまま船に閉じ込められているというのだ。しかもその数は週ベース万単位で急増。こうした状況を「危険な状態にある」とインタビューで指摘する船長はまた、この船の契約も契約は4カ月前に切れてしまったと語っている。

 世界の客船事故や海事トラブルの訴訟を約40年間にわたって手掛け、国際的にその名が知られる米フロリダ州マイアミの弁護士ジム・ウォーカー氏は、豪州の国営放送ABCニュースのインタビューで、次のように語った。

「世界には数百隻、10万人の船員(※5月時点)が洋上で漂流している。国際海事法では、クルーザー運用会社が船員を送還する義務がある」

 ウォーカー氏は、海事問題を発信するサイト「クルーズ・ロー・ニュース」の運営者でもある。同サイトは、5月10日付の投稿で、フィリピン海域に停泊中の客船内で、中国人男性乗組員の遺体が発見されたと“スクープ”した。死亡したのはコック見習いの20代の若者で、自殺とみられているという。4人目の乗組員の自殺だという。自殺者が出たのは、世界三大クルーズ会社に数えられ、業界第2位の米企業「ロイヤル・カリビアン・クルーズ」の大型客船「マリナー・オブ・ザ・シーズ号」だった。

 この報道に触発されたのだろうか、以降、中国のSNS「微博」には、洋上に留め置かれた中国人乗組員からの絶望的な投稿が相次いだ。

 200人の中国人船員が乗る大型客船の船員だという人物(アカウント名:tristajoy)は、2月上旬から128日間も閉じ込められていると6月5日に投稿。船内でコロナの検査が行われているが、マスクや防護用品がなく、いつ中国に帰れるかもわからず、ストレスや絶望感で海に飛び込み自殺する者もいると、危機感を露わにした。

 また別の人物(アカウント名:Leooo濤)は、マリナー・オブ・ザ・シーズ号と運営を同じくする別の船「マジェスティ・オブ・ザ・シーズ号」の船員であると明かし、300人以上の中国人船員が洋上に100日以上、留まったままだという。その状況をまるで牢獄の中にいるようだと訴えた。船側は中国船員の帰国を求め、これまでに4度、チャーター便が計画されたが、いずれも中国政府からの承認が得られなかったそうだ。「我々の命は羽毛より軽いのだ」とも嘆いている。

 さらに別の人物の告発によれば、フィリピン人、インド人、米国人、英国人、日本人、ウクライナ人、韓国人の同僚は帰国した。だが中国人の船員だけが祖国に帰れない状況だという。

 中国人客は帰国できても、いまだ母国の土を踏めない船員たち。こうした投稿はいずれも現在削除されているが、中国人船員の沈痛な訴えはSNS上のみにとどまらない。

 中国のアリババ傘下の香港紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」は6月21日、「コロナ狂騒下 漂流豪華客船に“監禁”の中国人船員」との見出しで、コロナによって帰国が却下され、他の船員と共に客船内に留まる中国人船員の声を紹介した。

 同紙が紹介したのは、中国北部出身の30歳の女性船員だった。「ココ(coco)」という仮名で取材に応じた彼女は、窮状を次のように訴える。

「3月に両親の元へ帰郷するはずだったが、今では9カ月間、地中海に漂流する外国客船に閉じ込められている。いつ再び、両親に会えるかわからない」

「マスクや防護服だけでなく、野菜や果物といった食糧も欠いている。船内にはコロナで重症と思われる同僚が部屋に閉じ込められたままだ」

「多くの中国人の同僚が、何カ月も中国に帰れず、漂流している。私も含め、早く故郷に帰れないという絶望感に耐え切れない。この悲劇が早く終わってくれることを祈るばかりだ」

洋上出稼ぎ人

 アジアの客を相手にしたクルーズ船市場の成長は著しい。世界観光機関(UNWTO)の調べでは、2018年の中国人の海外旅行者は世界で約2800億ドル(約30兆円)を支出し、国別では世界でトップだった。また、世界のクルーズ業界団体であるクルーズライン国際協会(CLIA)によると、2013年から2018年までの過去5年間のアジアの乗客数は、120万人から420万人に急増し、その半数以上が富裕層の中国人だったという。

 マリナー・オブ・ザ・シーズ号で相次いだ自殺者や、先の「ココ」氏らは、急増する中国人客をもてなす要員として、船で働いていた。富裕層の中国人が船を利用する一方、中国人船員の多くは、農村などの出身の貧困層だ。本国に残した家族に仕送りする“洋上出稼ぎ人”なのだ。中国国務院は3月中旬に「国際船で働く中国人国籍乗組員は約8万人に達した」と明らかにしている。

 チャイナマネーをあてにして、中国人顧客の取り込みに先陣を切ったのが、ダイヤモンド・プリンセス号の運用企業として一躍名前が知られた米カーニバル・コーポレーションの傘下にある「コスタ・クルーズ」だった。世界三大クルーズ会社のひとつに数えられる同社が2019年5月に就航させた「コスタ・スメラルダ号」は、カジノやカラオケルームを完備。中国客をターゲットにした仕様だった。自殺者の出たマリナー・オブ・ザ・シーズ号を所有する米ロイヤル・カリビアン社も、今年、豪華客船2隻を中国に寄港する運航予定を組んでいたが、中止は免れないだろう。

帰国して毒を輸入するな

 なぜ、中国人船員だけが、祖国に帰れないのだろうか。

 海事専門家らは「北京などでコロナの第二波の可能性があり、“輸入コロナ”を阻止するため」と言うが、香港メディアで働く筆者の友人は「彼らは帰国を拒否されている」と明かす。

「中国共産党政権下では、国家のために個人の犠牲は当たり前。つい最近も、パンデミックのロシアから国境線を越えて逃れてきた自国民を、在ロシアの中国大使が『モラルも何もない最低の国民』と罵倒しました。中国内で“逆流”と呼ばれるロシア経由のコロナ感染があったのもありますが、中国政府にとっては、国民の命なんて虫けらのようなものなのでしょう」

 中国は一貫して“武漢発祥説”を否定し、コロナウイルスは「海外で発生した輸入されたウイルス」と主張している。それもあり、海外で暮らす中国の人々は、中国本土の人間から「ウイルスを持ち込む存在」として誹謗中傷のターゲットにされているという。実際、SNSを覗けば、〈祖国がコロナと戦っていた時、お前たちは海外にいた。(帰国して)毒を輸入するな〉と、いった差別投稿が見受けられる。中国人船員が帰国できない背景には、こうした中国内の世論もあるようだ。

 終わりの見えない中国人船員残酷物語。ココ氏らの“洋上監禁”は1年近くに迫る。事態は国連が危機を表明するほどまでに逼迫し、彼らの精神状態は限界に達しつつある――。

末永恵(すえなが・めぐみ)
マレーシア在住ジャーナリスト。マレーシア外国特派員記者クラブに所属。米国留学(米政府奨学金取得)後、産経新聞社入社。東京本社外信部、経済部記者として経済産業省、外務省、農水省などの記者クラブなどに所属。その後、独立しフリージャーナリストに。取材活動のほか、大阪大学特任准教授、マラヤ大学客員教授も歴任。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年7月1日 掲載