特別な場所で初

 日本による植民地支配(日韓併合)に反対し、朝鮮半島の民衆が立ち上がった「三・一運動」。102周年を迎えた今年は、1919年当時「独立宣言書」が読み上げられたソウル市内のタプコル公園で、史上初めて式典が開催された。「日本との対話」に言及して融和モードを演出したかに見えるが、実際に検証してみると、そのフェイク度がわかる。

 文在寅大統領の演説は、2017年の就任からこれで4度目となる。

 まずは、過去3度の演説における文在寅大統領の虚偽発言について触れておこう。

 過去3年、文在寅大統領は日帝(日本統治)によって犠牲になった朝鮮人の人数を欠かさず演説内容に含めていた。

 下記に、日本に関する内容で、数字が含まれている部分を列挙したので見て頂きたい。

<2018年の演説>

・毎年2600余名が西大門(ソデムン)刑務所に投獄されていた

・1945年8月15日の解放の日まで、10万余名近くが西大門刑務所に収監されていた

・10人のうち9人が思想犯と呼ばれた独立運動家であった

・独立宣言書が朗読され、1542回もの万歳運動が起きた

・当時の人口の10分の1を超える202万余名が万歳運動に参加した

<2019年の演説>

・朝鮮半島の人口の10%にもなる約202万人が万歳デモに参加した

・約7500人の朝鮮人が殺害され、約1万6000人が負傷した

・逮捕・拘禁された人は実に4万6000人ほどに達した

・3月10日、逮捕・拘禁された教師の釈放を要求しに行った住民54人を日帝は憲兵分遣所内で虐殺した

・京畿道・華城の提岩里でも教会に住民を閉じ込め火を放ち、幼い子どもも含めて29人を虐殺した

・朝鮮人の攻撃で死亡した日本の民間人は、ただの1人もいなかった

<2020年の演説>

・1919年、1年間で実に1542回にわたり行われたデモで、全国でおよそ7600人が死亡、1万6000人がけがを負い、4万6000人が逮捕・拘禁された

・1920年だけで、武装した抗日独立軍による国内への進攻作戦が実に1651回も繰り広げられた

非暴力運動か?

 2019年の演説では、<7500人>だったデモの死者数が、2020年では<7600人>となっている。

 何かの調査の結果、死者数に変更があったのだろうか。

 たった100人と思われるかもしれないが、三・一運動は韓国にとって何よりも大事なものの1つであり、それにまつわる演説で数字の変化に触れないのは違和感がある。

 続いて、1919年の独立運動時の人口であるが、三・一運動で調査が中止されたため、正式なデータがない。

 しかし、1920年に行われた国勢調査では、1726万4119人という推定人口が公表されている。

 この人口のデータを基に、文在寅大統領が主張する「10分の1」や「10%」を計算しても202万人にはならない。

 ちなみに、朝鮮の歴史研究のために設立された国史編纂委員会が2019年2月20日に発表した三・一運動当時の延べ参加人数は103万73人、死者数934人である。

 朝鮮総督府による公式の数字は「参加人数106万人、死者553人」であり、この数字は当時の朝鮮総督府の発表と近い。

 なお、韓国内では、亡命独立運動家の朴殷植(パク・ウンシク)が伝聞情報をもとに自著『韓國獨立運動之血史』で示した「参加人数200万人、死者7509人」が通説となっている。

 文在寅大統領は、国家機関が発表した数字は一切参考にせず、亡命独立運動家が発表した数字を自身の演説内容に採用し、更に数字を“盛った”とみられる。

 その他、さらに細かな点については省略するが、そもそも、この独立運動自体、“非暴力運動”だったとされているのだが、これは事実と異なっている。

 三・一運動の主催者らが、準備文書や宣言において「万歳と叫ばなければ殺す」「熱心に参加しなければ主催者が家を燃やして全員殺す、暗殺する」「もし1919年3月1日の独立運動中に学校を開校すれば、登壇した教師は皆殺す」などと、参加しない者を脅す内容を配布していたことがわかっている。

 これだけ民衆を脅しておいて、“非暴力運動”はないだろう。

「日本との対話」に言及して融和モードを演出したかに見えるが、事実と異なるような情報を盛り込んでいるあたりからはその本気度が疑われるのではないか。

羽田真代(はだ・まよ)
同志社大学卒業後、日本企業にて4年間勤務。2014年に単身韓国・ソウルに渡り、日本と韓国の情勢について研究。韓国企業で勤務する傍ら、執筆活動を行っている。

デイリー新潮取材班編集

2021年3月5日 掲載