猛威を振るう新型コロナウイルスの影響で、2011年の東日本大震災以来、9年ぶりに開幕が延期された。そんな中、熱いメッセージを送るのは阪神・能見篤史投手(40)。自由枠で入団したものの4年間でわずか10勝。崖っぷちに追い込まれながら、3度の開幕投手などエースとして戦ってきた。挫折と栄光を知るベテランは「日々、成長」を教訓に、第一線でプレーを続ける。

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 「あの時」を振り返れば、記憶は少し曖昧になる。2011年3月11日。日本は東日本大震災で甚大な被害を受けた。新型コロナウイルスの猛威に揺れる今年は、9年ぶりにシーズン開幕が延期となった。あの時、初めて開幕投手の大役を託された左腕は、41歳を迎えるシーズンも第一線で戦っている。

 未曽有の大災害とウイルスの猛威。並列に語ることはできない。「震災の時は苦しんでいる人の方が多かったから」。ただ、国難に自問自答した9年前の記憶は、プロ選手として生きる使命にもなった。災いに人々が苦しみ、世界が深い悲しみに暮れる。だからこそ、今を大切に生きる。

 「僕らは野球が仕事。大切だと思ってやってきたから、それしかない。日々成長。そのために新たな発見をずっと探している。止まっていても仕方ない。何も変わらないから」

 9年前、日本はプロ野球開催の是非に揺れた。「こんな時に…」と非難がある一方、開幕を待つ声が支えだった。「野球が見たいという人がいた。楽しみにしてくれる人がいた。僕らは野球ができる環境を幸せに感じた」。二転三転した4月12日の開幕・広島戦では、前田健太(現ツインズ)との投げ合いを制して勝利投手になった。

 プロ7年目でついに手にしたエースの座。「独特な緊張感もあった。開幕投手も初めてで、そんな余裕もなかった」と振り返る1年が、野球選手…いや、人として大きく成長するきっかけになった。

 「落ち込むこともたくさんある。でも結局、そこからどうするかが大事だった。僕もいろんな経験をしてきて、落ち込んで何かが変わったことはない」

 入団して3、4年目の記憶だ。即戦力として期待されながら1、2軍を往復する日々。1枚のハガキが届いたのは、そんなころだ。

「もう、辞めてください。あなたの顔も見たくないです」−。書かれていたのは、たった2行の文章。だが10年たった今でも、忘れることができない。

 「ご丁寧に名前も住所まで書いてあった。正直、笑えない。でも頑張ろうと思えた」。励ましや声援だけじゃない。時に厳しい言葉もヤジも、力にした。「前を向いたら助けてくれる人がたくさんいる。一人では何もできない。それを感じて生きてきた」。下を向いて歩くと見えなかったものが、上を向けば見えるようにもなった。

 センバツも中止になった。母校・鳥取城北も涙をのんだ。後輩たちの心情を思いやりながら、夏に向けた糧にしてほしいと願う。「出場権を獲得したのは紛れもない事実。残念だけど立ち止まっていても何も進まない。どう捉えるか。そこが大事」。エールを送りながら「人間って、そんな弱いものじゃない」と成長も強く信じた。

 5月に41歳を迎えるシーズン。気が付けば同学年の選手はヤクルトの石川、広島の石原慶ら、ひと握りになった。「限られた中で、できることは光栄だしね」。両肩に同世代の希望を担い、背中にはプロ野球選手として、ファンの期待を背負う。

 色紙には“頑張った分は必ず報われる”と書いた。「いつかは分からないけど絶対に返ってくる。そう生きていれば成長できると信じてきた」。不惑を迎えた今も第一線で戦う矜恃(きょうじ)がここにある。頑張ろう日本、共に戦おう。開幕延期を成長期間にして、ファンの待つ1年を最高の結果に変える。