2018年8月5日、一件のツイートが物議を醸した。

プロレスって、スポーツでも格闘技でもない、表現の世界だとオレは思う。スポーツでも格闘技でもないから、表現次第で天下を取れる可能性があると思うのだ。だからスポーツより格闘技より面白いと、オレは思う。
— TAJIRI (@TajiriBuzzsaw) August 4, 2018

 このツイートに対し、アンチコメントが殺到した。かく言うわたしも「プロレスは格闘技だ! スポーツだ! 表現はその先にある!」といった鼻息荒いリプライを送った記憶がある。ツイートの主はプロレスラーのTAJIRI。世界最大のプロレス団体・WWEで長きにわたり活躍し、「日本人メジャーリーガー」と称される人だ。49歳になる現在も、現役バリバリ。国内外で数多くのベルトを戴冠している。

 わたしはこのTAJIRIというレスラーが好きだ。どこか遠い国の荒野を思わせる入場曲も、リング上でのミステリアスな佇まいも、レスリングの巧さも、ここぞというときに毒霧を吐く狡猾さも、すべてにおいて魅了されてしまう。だからこそ、冒頭のツイートを目にしたとき落胆した。プロレスはスポーツでも格闘技でもない――。現役のレスラーがそう言い切ってしまうことに違和感を覚えた。

 しかし、TAJIRIの新刊『プロレスラーは観客に何を見せているのか』(草思社)を読んだら……。大袈裟ではなく、全身に稲妻が走った。140文字のツイートでは到底表現しきれない奥深さに目眩がした。ああ、なぜわたしはあんなクソリプを送ってしまったのだろうか! 後悔しても仕方がないので、本書でとくに目から鱗が落ちた章をご紹介したい。タイトルは「サイコロジーの帝国――WWEの教え」。

プロレスにおいてキャラクターが活躍するメイン舞台。それは、リングである。キャラクターをリングで動かし極上の作品に仕上げていくには、「見やすさ」と「わかりやすさ」が必須条件である。試合においては整合性が大切で、理にかなっていないことは排除していかなくてはならない。この作業は「サイコロジー」と命名されている。(P.124)

 サイコロジーとは「心理学」という意味。WWEのレスラーは、このサイコロジーという言葉をよく使うという。そしてWWEにおいてこの言葉は「こうなれば、ああするはずだから、こうしていくべきである」という文脈で用いられる。プロレスという大きな枠組みで例を挙げると、「イイ者vs悪者という構図はわかりやすくてノレる」といったことだそうだ。

 試合の流れで言うと、例えば「胸元へのチョップと、胸元へのミドルキックが得意な選手がいる場合、その2つの技を繰り出す順番は①チョップ②ミドルキックであるべきだ」ということらしい(チョップよりもミドルキックのほうが相手に与えるダメージが大きいので、この順番が逆になると、大砲を打ち込んでも死ななかった相手に小型拳銃で大砲以上のダメージを与えようとする無意味な行為となる)。

 WWEではサイコロジーに従っていない試合はあり得ない。しかしその他の団体では現在、大技を連発したり、いきなり相手を頭から危険な角度でマットに叩きつけたりするような、サイコロジーを無視したプロレスに熱狂する観客も多い。それでもTAJIRIは「僕の考えは変わらない。プロレスにはサイコロジーが大事だと主張し続ける」という。

 本書は全編にわたり、基本的にはWWEの考え方に基づいている。日本のプロレスが海外でこれだけウケているいま、必ずしもWWEのプロレスに寄せる必要はないのかもしれない。それでも本書を読むと、国や団体の垣根を越え、プロレスとはどういうものか、プロレスはなぜ観客を魅了するのか、そしてタイトルである「プロレスラーは観客に何を見せているのか」が見えてくる。それはきっとTAJIRIが国内外で様々な経験を積む過程において、ひとつひとつの壁を疎かにせず辿り着いたプロレス論だからであろう。

 TAJIRIのプロレス論は今後プロレス界においてスタンダードなものになる予感がしてならない。そして本書はプロレスの教科書として広く読まれるようになるに違いない。

文=尾崎ムギ子