「共感しあえる誰かがほしい。」――“問題児”紗奈も施設への決意をかためる/ 松岡圭祐『高校事変 Ⅲ』③

「共感しあえる誰かがほしい。」――“問題児”紗奈も施設への決意をかためる/ 松岡圭祐『高校事変 Ⅲ』③

超ベストセラー作家が放つバイオレンス文学シリーズ第3弾! 前代未聞のダークヒロイン・優莉結衣が、シリーズ最強の敵、戦闘能力の高い元・軍人たちを相手に大活躍する…!?

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 明宮紗奈が都立荒川高校の校長室にきたのは、けさが初めてではなかった。

 深夜の渋谷をうろついているところを補導された翌朝、母親とともに呼びだされた、それが一回めだった。以後も同じようなことが何度かあった。母が行方不明者届をだしていたことも、たいていこの部屋で知らされた。

 そんな母の姿も、いまはここにない。父はもともといなかった。シングルマザーで子育てに奮闘する、そう決心するのは母の勝手だ。けれども子のほうは、産まれてくる家庭を選べない。幼少期にはもう不満を抱えていたが、不服など口にできない。いったところで変わらない。だから対話を拒んだ。家に帰らなくなった。

 殺風景な校舎のなか、校長室だけ応接間のような内装を誇る。大人のくだらない見栄の象徴のように思える。きょうはめずらしくソファに座るのを許された。これまでは母だけがソファにおさまり、紗奈は横に立たされるか、床に正座だった。毎回、校長が激しく憤りながら、そのように強制してきた。担任の教師は無言だった。母も抗議してはくれなかった。

 頭髪の薄い、脂ぎった顔の校長は、いつになくさばさばした態度をとっていた。ようやく厄介な生徒を手放せる、表情にそう書いてある。きょうにかぎって嫌味な小言や皮肉を発しないのは、来客の機嫌をうかがっているからだろう。

 NPO法人〝健康育児連絡会〟の倉橋重久理事を、紗奈は知らなかった。だが学校法人塚越学園の角間良治学園長は、テレビで観たことがあった。中学生のころ、情報番組で特集が組まれていた。

 もともと各自治体には、問題児を引き受ける教育支援センターがある。ほとんどはまともな団体だったが、行政のチェック不足のせいか、高額な料金をせしめようとする詐欺も横行した。そこで政府公認の矯正施設が、学校法人として発足するに至った。児童虐待など、親と子の問題に長く取り組んできた角間が、学園長として就任した。そんな話だったと思う。

 紗奈は自分の指先に目を落としていた。ネイルの仕上がりぐあいが気になる。二度塗りするときにポリッシュがひっかかってしまい、爪の先までうまく伸びなかった。直す意思はあったのに、中断したままになっていた。

 ゆうべは夜の公園にいた。バイトの給料で買ったマニキュアを塗るため、街路灯の下に座った。それがまずかったのだろう。遠目にも制服姿の女子高生とわかったらしい。警察官がきて、家はどこかと質問してきた。母親に電話してもつながらなかった。パトカーでアパートの前まで運ばれたものの、母は居留守を使い、警察の呼びかけに応じなかった。不在と判断せざるをえなかったのだろう、紗奈は署で保護された。そのまま朝を迎えた。

 よくあることだった。学校とバイト先には顔をだしているが、家にはもう長いこと帰っていない。

 校長が来客にたずねた。「塚越学園も学費は必要なんでしょう?」

 応じたのは倉橋だった。「保護者に二割の負担を求めてますが、ただちに支払いが必要なわけではありません。無利息の分割払いにも応じています。それ以外は政府からの補助金と、一般からの寄付によって賄われてまして」

「つまり」校長が声をひそめた。「立ち直るのがよほど困難な子を集め、税金で再出発させると」

 紗奈はきいていないふりをした。学校経営に興味をしめすのは、校長として当然のことかもしれない。学費の二割が、どれぐらいの金額かはわからないが、母はなんとか工面するつもりだろう。そうまでして責任をほかに押しつけたいらしい。娘の育成については、とっくに心が折れていた、そんなところか。

「いえ」角間良治がいった。「校長先生。立ち直りが困難な子を専門に引き受ける機関ではありません。むしろ立ち直りの可能性がおおいにあり、その意思も強い子を編入しています」

「しかし」校長が渋い顔になった。「私ども世間一般の教職員の認識では、自治体の支援センターでは手に余る生徒たちを矯正するため、国が施設を立ちあげたと、そう解釈しておりますが」

 角間は首を横に振った。「学校法人ですから、目的はこちらの高校と同じく、あくまで生徒の教育になります。私どもはごく一般的な生徒として、全国から少年少女を迎えているんです」

 きれいごとにすぎないが、気遣いをしめしてくれるだけましだった。くだんの問題児が同席しているのに、わざときこえるよう嫌味を口にする校長こそ無神経だ。うわべだけでも差別を否定するのが大人の態度だろう。

 校長は紗奈を忌み嫌っている。これが懲罰だと信じたがっているらしい。

「明宮紗奈さん」角間が話しかけてきた。「きみのお母さんから連絡があったのは、もう何か月も前のことだ。私たちは詳細に検討し、きみにその気があるなら、高校生をつづけてほしいと思ってる。塚越学園で真面目に授業を受ければ、春には三年に進級し、次の春には卒業を迎えられる。高卒の認定も得られるよ」

 紗奈は小声できいた。「まだなんとか見こみのある不良を集めて、高卒認定をとらせる場所ですか。それともやっぱり、少年院の一歩手前ですか」

 校長は目をそらし、鬱陶しげな表情で黙りこんでいる。教頭と担任も無言を貫いていた。関わりを避けたがっている。

 だが角間は真摯な目つきのままだった。「なあ、明宮さん。塚越学園に対し、偏見があるのは知ってる。しかし私は、きみのような生徒がそういう偏見を打ち負かせると信じてる。きみは誰にも劣っていない。それを証明するんだよ」

 校長がじれったそうに口をはさんだ。「明宮君。これが退学だということは肝に銘じておくことだ。塚越学園では謙虚に、協調性をもって学ぶように」

 角間は校長に向き直った。「失礼ながら申しあげます。退学ではありません。転校です」

「しかし制度上では……」

「塚越学園は学校法人です。そこへ新たに編入されるのだから、転校と呼ぶべきです」

「いいですか、角間さん」校長は頑なな態度を崩さなかった。「いずれ問題に直面したとき、戸惑われるかもしれませんから、あらかじめ申しあげておきます。これは明宮君を責めているのではなく、ただ事実を述べるものです。彼女は家出のほか、校則で禁止されているバイトを続行しています。文書訓戒や自宅謹慎も頻繁にありました。二年に進級できたのは、一年のときの担任ががんばってくれたからです。いまも彼女の生活態度は改まっていません。ほかにも問題のある子はいますが、明宮君が最も深刻です」

 角間の表情は変わらなかった。「校長先生は教育者でしょう。生徒本人がいる場で問題児呼ばわりとは、責務を放棄なさってるのですか」

「いや」校長はたじろぐ反応をしめした。「そういうつもりでいったのでは……」

 心がざわついた。どうしてもたずねたいことがある。紗奈は角間を見つめた。「学園長さん。たしか児童虐待が専門だったと思いますけど」

「ああ」角間がうなずいた。「長年の研究テーマだよ」

「塚越学園に迎えられるのは、虐待を受けた子ですか」

「そういう基準では選定していないが……」

「わたしは虐待を受けてると思いますか」

 沈黙がひろがった。階上の教室から教師の声がきこえてくる。室内はそれぐらい静かになった。

 角間は居住まいを正した。「私はきみのお母さんと直接会ってはいない。でも職員が話をきいて、その記録を読ませてもらった。お母さんに悪気はないと思う。しかしお母さん自身も気づいていないようだが、ネガティブな思考や習慣を、きみに押しつけすぎている。きみは愛情を充分に感じられず、そのせいで自分を大事にする感覚を欠いてきた。人として重要なことを学ばないまま成長したんだろう」

 胸の奥に鈍重に響くものを感じる。少しはわかってくれているのかもしれない。紗奈はたずねた。「わたしは母と、どう接していけば……」

「塚越学園を卒業して、お母さんと大人どうしの関係になれば、自然に打ち解けるんじゃないかと思う。いまはまだお母さんへの依存心があって、それに応えてもらえないから、苛立ちが生じる。成長したきみなら、お母さんと対等につきあえるよ」

 やはりそれしかないのか。紗奈は深い感銘とともにそう思った。自立するしかない。けれどもそこに行き着くまでは、母の支援が必要不可欠になる。だからなにひとつ実現できず、焦ってばかりいた。

 角間がどう説明しようと、塚越学園は問題児の矯正施設にちがいない。それでも将来への足がかりにはなるのかもしれない。マイナスからのスタートでも、プラスをめざしうる。甘いかもしれないが、いまはそう信じたい。でなければ、もうなんの希望も残されていない。

 半ば気持ちが固まってきた。そんな思いとともに紗奈はつぶやいた。「わたしは目に見えるような虐待を受けてない。まだ恵まれてるほうですよね。たぶんもっとひどい親に育てられた子がいるだろうし」

 角間の表情がわずかに曇った。「きみは自分のことだけ考えていればいいよ。他人とくらべる必要はない」

「誰か心当たりがあるんですか」紗奈は角間を見つめた。

 自分のほかにも親に見放された子がいるなら、会って話がしたい。友達になれるかどうかはわからなくても、共感しあえる誰かがほしい。

 しばしの沈黙ののち、角間が気鬱そうに告げてきた。「まだ会っていないんだがね。父親に悪影響を受けたとおぼしき女子生徒がひとりいる。それもとびきりの悪影響を」


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