五感が癒される“森林セラピー” 吉野の森で記者が体験

五感が癒される“森林セラピー” 吉野の森で記者が体験

 河瀨直美監督の最新作「Vision」が6月8日、公開された。舞台は奈良県吉野。歴史ある吉野ではいま、地元の人々が山を守る課題に立ち向かっている。



*  *  *
映画「Vision」は、神秘的な山の中でフランスの名優ジュリエット・ビノシュさんが演じる随筆家ジャンヌと、永瀬正敏さん扮する山を守り育てる山守の智とが出会い、心を通わせていく物語だ。

「山守」とは、山の所有者に代わって育林と伐採を管理する、吉野ならではの職業。吉野では室町時代から林業が始まっていて500年もの歴史があるといわれている。林業が盛んになったのは安土桃山時代で、吉野材は大坂城や伏見城にも使われていた。

山守制度が始まったのは江戸時代中期から後期。造林地を維持する資金力が村民になくなったとき、それでも林業を存続させるために有力者に土地を売却して、その土地を借りた。山守は木を植林して、伐採・売却したらその売り上げを所有者と分け合う。

「新緑の季節こそ、吉野の一番の魅力だと思うんですよ」

 と、吉野で7代目の山守として働く中井章太さんは言う。

 奈良・吉野といえば3万本の桜の名所として知られている。京都駅から近鉄電車に乗り継いで吉野駅まで約2時間。そこから世界遺産である吉野山を登ってメインストリートの尾根上の道へが定番コース。桜の季節は、大勢の花見客で賑わう。

 この吉野山と、吉野川周辺を含んだ奈良県南部が吉野郡で、その面積は奈良県の2分の1を占める。大半が森林で覆われていて、春だけではなく緑豊かな夏や紅葉の秋にもきれいな景色が見られる場所だ。

 5月中旬、映画のロケ地にもなった吉野町の細峠周辺を中井さんに案内してもらった。吉野川をはさんで吉野山とは反対にある場所だ。森の中をゆっくりと歩いていくと木々の間から差し込みはじめた朝日が、杉の葉や幹、地面に生えた苔を照らして1秒ごとに森の表情を変えていく。静けさの中に響く鳥の声、木々の間から吹き抜ける冷たい風、檜や杉の葉の香り……壮大な森の中でフルに五感が刺激され、心が揺さぶられる。ここにいると、時間が経つのを忘れてしまいそうだ。

 上に向かってまっすぐ均一に伸びているのは杉の木々で、およそ50年前に畑だった場所に植林したものだという。吉野の人工林の特徴は、密に植えていくことだ。普通なら1ヘクタールあたり3千〜4千本植えるところに、8千〜1万2千本と“高密植”を行う。

 そうすると、木が一気に成長して年輪の幅が広がるのを防げる。残す木を決めて密集した木々を20年ごとに間伐し、木の成長をコントロールしていくと、年輪幅が細かくて、節がなく美しい吉野材ができるという。年輪が密だと強度も高い。

 木は30年成長するまでが手がかかると、中井さんは言う。木の周りの草木を刈り、木に巻き付いた蔓をとる。枝が出ると切り落として、まっすぐ上に伸びていくように促していく。出荷するまで100〜200年育てるため、自分の世代だけでは終
わらず、だいたい3世代ほどかかるという。気の遠くなりそうな作業である。

 これだけ手間をかけて育てる吉野杉だが、今の市場ではなかなかそれが価格に反映されない。木材の価格が昔に比べて10分の1以下にまで下がっているため、林業の存続も危機的な状況である。吉野にいる山守は、現役世代で30人程に減ってしまった。先代から続く美しい木目の吉野杉をつくり続けられるのか、また、今後どう山を守っていくかが課題だ。公開前に行われた映画「Vision」の完成報告会見で、河瀨直美監督はこう言った。

「日本を代表する美しい山の産業が衰退していくことは、なにか人間にとって“負”になると思う。今回のテーマは、危機感が原点にあった」

 前出の中井さんも状況を何とか良くしていきたいという。

「単純にこれまでのように木を切って売るだけじゃなく、先人たちがつないできた歴史をこれから1千年先まで続くようにしていく。例えば、山を体験しにきてもらうだとか、いろんな形で山の事業を存続させる環境をつくらないと」(中井さん)

 吉野町でも、様々な挑戦が始まった。例えば、中学校で3年間使う学習机を子どもたち自身が地元の材木を使ってつくる「愛・学習机プロジェクト」がそれだ。学校で共に過ごす机を吉野材にしたかったという。

 そのほかに、「吉野杉の木桶復活プロジェクト」では、「百年杉」と命名された木桶仕込みの酒がつくられた。まずは酒を通して吉野を知ってもらえないか。樽や桶の製造により吉野林業は発展した歴史がある。

 ガイドと共に森の中をゆっくりと歩く「森林セラピー」も、空間資源で“体験“という新しい価値をつけるものだ。“吉野美林案内人“という専門のガイドとともに、ウォーキングコースを歩いてみることにした。場所の簡単な歴史説明を聞きながら、草木の香りを楽しんだり、瞑想をしたり、杉の木々の間に取り付けられたハンモックに寝転がってゆったり時間を過ごしたり、これらは精神的ストレスの軽減や健康維持等を目的としているそうだ。年間で900人ほどが訪れるという。

 歩いたのは、龍門岳のふもとにある龍門の滝や津風呂湖周辺を巡る「神仙峡 龍門の里コース」。最後に立ち寄る龍門寺跡では、奈良時代に東大寺や興福寺から来た約1千人の学僧が学んでいたそうだ。今は杉に覆われて見えないが当時は、龍門寺から奈良まで見えたのではないかと吉野美林案内人は言う。

 今回、吉野美林案内人としてガイドをしてくれたのは、65歳のときに東京から吉野にUターンをしたという坂井佐久次さんだ。すっかり吉野の山の虜だという。

「ガイドになってから森をよく見るようになりました。毎回森の中の景色が変わるから、そのたびに新しい発見がある。知識というより、五感で癒やされて帰ってもらえたら嬉しい」(坂井さん)

(編集部・柳堀栄子)

※AERA 2018年6月18日号より抜粋

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