日本人シェフが本場で栄冠を手にした。星の数でレストランを評価する「ミシュランガイド」のフランス版で、小林圭さん(42)が日本人として初めて三つ星を獲得した。日仏料理界の歴史に刻まれる偉業だ。フランス人以上に本物にこだわる凄腕料理人の実像に、現地在住のジャーナリスト・増井千尋さんが迫る。



 全世界29カ国で計32冊出版されているミシュランガイド。なかでも本国フランス版は最も評価が厳しいことで知られる。日本やニューヨークの三つ星のフランス料理店は、本場では二つ星相当値だとも言われる。

 フランスでは、星の数はレストランの売り上げはもちろん、仕入れ先やその地方の交通機関まで影響を及ぼす。片田舎の店でも三つ星を獲得すると、国内外の客が殺到し、街が潤うのだ。100年以上の歴史を誇るタイヤ会社の赤いガイドブックは、地域経済をも揺さぶる。

 覆面調査員の数も評価基準もかたくなに公開しないミシュラン。パリでは10年以上超高級店以外に三つ星を与えず、個人経営の若いシェフを見落とし続けた。

 あきれたフランス料理界はミシュランのことを、「時代遅れの化石」と批判した。インターネット時代に乗り遅れたこともあり、ガイドブックの売れ行きは落ちる一方だ。

 こうした声を背景に、2018年9月にミシュランガイドの新しい総責任者にグウェンダル・プレネック氏が就任。数カ月後に刊行された19年版は表面的な変化で終わったが、20年版では「革命を起こす」と暗示していた。

 小林さんは11年、パリのルーブル美術館近くに「レストランKEI」を開いた。私が初めて食べたのはオープンしてから数カ月後のことだ。

「ずいぶん過激な料理だなぁ」と首をかしげたことを覚えている。酸っぱかったり、甘かったり……。決してまずくはないが、食べ手に強い印象を残すアグレッシブな料理だった。

 食後に小林さんに会った。金髪に、足は高級ブランド「クリスチャン・ルブタン」のスニーカーで、自己主張の塊のような若いシェフだった。

 一方で、はっきりと自己を持っている強いキャラクターの裏には、意外に臆病で真面目な完璧主義者が潜んでいた。その後、私は小林さんの料理本を2冊執筆し、「圭さん」と呼ぶようになった。今や私にとって彼は弟のような存在だ。

 オープンの翌年に一つ星を取った。当時は、「僕は三つ星しか眼中にありません」と大きなことを言っていた。

 しかし、なかなか二つ星は取れず、毎年の発表前後は、誰も口がきけないほどイライラしていた。徐々に星までの距離の厳しい現実が分かったのだろう。17年に二つ星に昇格したが、圭さんはあまり「三つ星」と言わなくなっていた。

 星の数の発表はシェフの人生を左右する。18年版までミシュランは発表の前日に連絡をしていた。発表日が月曜日の場合は、基本的に土曜日の晩までに電話が来ていた。月曜日の朝ぎりぎりにかかってくる時もあるので、毎年、星を目指すシェフたちはものすごい緊張感の中で一本の電話を待っていたのだ。

 19年版からはさらに残酷になり、シェフたちは発表会に招待されるだけで、星の有無はぶっつけ本番。会場の舞台でプレネック氏がレストランとシェフの名前を呼ぶ方式になった。

 20年版の発表は1月27日の午後4時開始(現地時間)であった。私は、前日の晩に、圭さんを食事に誘った。

「圭さん、三つ星は無理よ。早すぎる」

「どうしてですか? 分からないじゃないですか!」

「ボキューズを格下げした年に、日本人に三つ星? ありえない」

 巨匠ポール・ボキューズ(18年に死去)の店が55年間保持した三つ星を失ったことが、数日前にわかっていた。これがミシュランの「革命」だったのか!

 フランス全土が驚愕(きょうがく)するようなニュースだった。国の栄光のシンボルを二つ星に格下げて、日本人に最高賞の三つ星を与えるとは考えられなかった。

 ところが予想に反し、圭さんは見事に獲得した。

 発表会の当日、私は会場のプレスコーナー席に座った。午後3時50分、発表が始まる10分前。「ケイが三つ星を取った!」という一報がプレスコーナーに広まった。私は会場の中央のシェフ席に座っていた圭さんに、スマホのラインでメッセージを送った。

「圭さん、良いお知らせのようですよ」

 遠くから見える彼の顔は真っ白に緊張していた。妻の知加子さん、シェフパティシエの高塚俊哉さん、調理場のチームとレストランディレクターも一緒だ。勢ぞろいで来たところを見ると、もしかして知っていたのかも。

 20年に美食の都パリで新しく三ツ星を手に入れた店は、「レストランKEI」だけ。去年初めてフランス人ではないシェフが三ツ星を獲得したが、それほどの騒ぎにはならなかった。今回の「日本初!」は今までにない反響を呼んだ。

 テレビニュースで報じられ、レストランへは1千〜2千件の予約メールや電話が殺到した。フランス人が日本へ抱く憧れと尊敬の表現なのだろうか? 細身で神経質そうな一人の日本人の料理人が、フランス料理の歴史を変えたのかもしれない。

 三つ星を取れたのはミシュラン側の事情もあったのだろう。新しい総責任者のもとで、ミシュランは過去のイメージを一新する必要に迫られていた。

 もちろん料理はすばらしい。初期は一切しょうゆを使わないほどフランス料理に一途な姿勢だった圭さん。同レベルのフランス料理人がしょうゆはもちろん、一番だし、昆布、みそ、ユズ、ノリなどを日常的に使うなか、圭さんは日本の食材や料理法をあまり活用しない。

 才能の基盤にはフランス料理の伝統がある。日本で師匠から、「肉を習いたいならフランスへ行け」と言われ、20万円を手に渡仏。一本のバゲットパンで3日間過ごすような切り詰めた暮らしを経て、ようやく南仏の三つ星店で採用された。KEI特有のトマトやオリーブ油の味は、ここで培われたのだろう。

 アルザス地方の著名店で働きながら、定休日は隣の精肉店でも修行を重ねた。年に100頭以上の鹿をさばいたそうだ。圭さん特有のジビエ料理の根源はこの時代にあった。

 フランス料理の基本は肉。日本の料理人にとっては難しい食材だ。圭さんの強みは、肉という食材に精通し熟練の技を持っていること。

 そして、フランス料理のもう一つの基盤であるソース。ソースがなくてはフランス料理ではない。通常は肉の端切れや骨をワインなどで煮詰めて作るが、圭さんはぜいたくな部位を使う。

 フランスの著名シェフに憧れ、「フランス料理」の理想を常に心に抱いてきた。だから日本など他国の要素を取り入れた料理がはやるなかでも、一瞬ともフランス料理の基本からぶれなかった。

 フランスの古典料理を現代の美食に変化させるのは、基本が完成していることに加え、類いまれなるセンスも必要だ。フランスには多くの日本人シェフがいて、似たような料理を出すシェフが多いが、圭さんの味の感覚や料理の盛り付けは誰にも似ていない。

「絵画」に似た現代料理の仕上げに独自の目新しさと美的感覚がなくては、どんなに味が良くても三つ星は取れない。

 圭さんの料理は正確だ。ぶれない。火入れは完璧で味が決まっている。隙のない、自信に満ちた料理だ。昨年は6回も調査員に訪問されたようだが、ミシュランガイドのキーポイントである、「安定した完璧さ」を見せることができたのだろう。

 一部の報道では、圭さんの料理は日本とフランスの味を調和させたものだという見方もある。

 私は「日本人の魂」とフランスの味を調和させたものだと思う。勤勉で物静かだが頑固さも併せ持つ。相手の強みを理解、分析して、自分のものにするのは日本人の特技だ。

 それでいてフランス人に尊敬の念を持っている。フランス人のシェフは勤勉ではないといった誤解もあるなかで、圭さんは以前からこう言っていた。

「フランス人は日本人以上に働きます。ただ、けじめがはっきりしているからダラダラは働きません」

 圭さんもメリハリをつけて働く。フランス人のシェフたちはそんな圭さんを、「真っすぐなやつだ」と評価する。

 フランス料理は、もはやフランス人だけが作るものではない。10年ほど前から多くの日本人シェフが、パリで店を開いている。いまでは、日本人シェフのレストランは繊細できちょうめんな美食を提供してくれると高く評価されている。そんな状況もあって、圭さんのフランスへの感謝の気持ちは強い。

 「日本人がフランスで活躍できるのは、フランス人のお陰です。僕たちを素直に受け入れてくれるからです。考えてみてください。これが逆だったら? 日本でフランス人が日本料理店をやったらどうなると思いますか? 商売なんかできませんよ。だから僕はフランス人の『民主主義』にありがとうと言いたいです」

 こう7年前に語っていた圭さん。念願の三つ星を手にした発表会でも、「メルシー・ラ・フランス(ありがとうフランス)」と述べた。

 その言葉はフランス人の胸に響き、社会的にも称賛された。

 こんな圭さんだからこそ、日本人初の三つ星を獲得できたのだ。

(増井千尋)

■ますい・ちひろ 
ジャーナリスト、作家。1964年、東京都生まれ。パリ在住45年超。フランス語で料理本を出し、日本やフランスの雑誌などに料理関連記事を執筆。母はフランス料理やグルメの本などで知られるジャーナリスト、故・増井和子さん。父はフジテレビの元ニュースキャスター、故・山川千秋さん。https://chihiromasui.com

※週刊朝日オンライン限定記事