新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、仕事も学校も自粛を余儀なくされ、思い通りにいかない状況にストレスを抱えている人も多いはず。全国不登校新聞の編集長、石井志昂さんはそんなときこそ、「生きづらい人生を送るなかで大事なものを見つけている人の言葉を伝えたい」と言う。今回は人気絵本作家、ヨシタケシンスケさんへのインタビューを紹介。

「大人や世間は『逃げるな』『立ち向かえ』といつも言います。でも、できないことから逃げてきたおかげでやれることもたくさんあるんです」

 と、ヨシタケさんは語る。



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――ヨシタケさんは、どんな子どもでしたか?

 小学校の高学年ぐらいのときは「怒られたくない」という気持ちと「ホメられたい」という気持ちが、よくごっちゃになっていました。絵を描いたり、工作をつくったりしたときに母親からホメられて、すごくうれしかったんです。だから、ホメられたいっていう気持ちがあるのに、気が弱いから、大人から怒られるのは怖くてしょうがない。

 遊んでいたり、絵を描いてたりしていると、これはホメられたいなあという思いつつも、「でも、なんかあったときに怒られたくないなぁ」「なんかあったらどうやって言い訳しようか」「言い逃れするためにできる準備ってなんだろう」とか、そんなことばっかり考えている子でした(笑)。

 それと「自分の意見」や「夢」なんかも持ってなかった子どもでした。

 うちの兄弟は4人。妹が2人と姉が1人。この姉が何でもできる人で、自分の意見もバーッと押し通す人でした。僕が話をすると、なぜだか家族の場が荒れる。そういうことが多くて、「自分のことをわからせようとすると苦労が多いな」と肌で感じていました。

 自分のことをわからせようとするのはやめよう、と思っていたら、自分の意見を持てなくなったんでしょうね。それで困ったのは中学生になってからです。やっぱり同い年でも夢や自分の意見を持っている人って、かっこよく見えるわけです。かっこよく見えるだけじゃなくて、夢がない自分がなんだか恥ずかしかったし、どうすりゃいいかもわからなかった。そんなことならば、よく覚えています。

――ほかに中高生のころの思い出は?

 とくに楽しい思い出はないです(笑)。覚えているのは文化祭や体育祭などイベント。そもそも団体行動が苦手なので、イベントが終わると、かならず誰かを嫌いになっていました(笑)。

 イベント中は、誰かとペアやグループになって団体行動をさせられます。そうすると僕は「あいつ全然、言うことを聞かないな」とか「自分のことばっかり言う奴だな」とか、嫌な面が見えてきちゃうんですね。

「吐くほど嫌い」っていう強烈な嫌悪感じゃないんですが、いちいち他人の嫌なところを発見する自分に腹が立つし、心が狭いなとも思う。ようするに気持ちのいいものじゃないんですね。だから、いつもイベントのたびに「ああ、また誰かをキライにならなきゃいけないのか」って暗澹(あんたん)たる気持ちになってました(笑)。

 一方、大学は楽しかったんです。ちいさな美大に入って、自分の作品を見せたら喜ばれたり、意見交換をしたりね。

 大学で「楽しい」と思うことができて初めて気がついたのは「中学や高校は楽しくなかったんだ」と。中学や高校では、なんのいい思い出もなかったけど、それをつらいと思うだけの楽しいこともなかった。それが僕の中高生時代です(笑)。

――なるほど。いつごろから絵本作家になりたいと思われっていたのでしょうか?

 絵本作家になりたいとは思ったことはありません。

 大学院を出たあと、ふつうの会社に入ったんです。でも、さっきも言ったとおり、団体行動が僕は全然ダメ。まわりにあわせるのがすごく苦痛だったし、課長にもずっと怒られていました。

 そこで始めたのが「乖離」です。現実世界ではふつうの社会人としてふるまって、その一方で、自分にしかわからない仮想世界を頭のなかにつくりあげてそこに没頭する。勤務中も通勤中も、ヒマさえあれば、手の平を凝視して自分にしか見えない小人を見る訓練をしていました。

――けっこうヤバいですね(笑)。精神的に追い詰められると、現実と空想を乖離させるとは聞きますが、かなり典型的なエピソードですね。

 すごいでしょ。自分でも思い出すとゾッとするんだけど、3Dで想像してました。こう、とんがり帽子の小人が、誰よりも自分を理解している奴だ、と(笑)。

 あと毎日のようにしていたのが、勤務中のラクガキです。イラストつきで課長の悪口を描いていました。ところがある日、油断していたら、そのラクガキが経理の女性に見つかってしまったんです。しかも、その絵が「カワイイ」と。

 それまで、絵はストレス発散のためだったのでホメられるなんて思わなくてね。その女性は純粋な気持ちでホメてくれたのに、僕は「これって絵をホメたんじゃなくて、僕に気があるのでは……」「いやまてよ、彼女はたしか結婚してるはずなんだが……」と、どうでもいいことを悩んだりもしました(笑)。

 そんなこともありましたが、やっぱりホメられたのが嬉しくて、描いてたイラストをコンビニでコピーして印刷所に持っていったんです。自費でつくった初のイラスト集は売れるはずもなく、知り合いに配ってまわることになったんです。ただ、その縁でイラストの仕事をいただき、絵本の仕事もいただくようになりました。

――ラクガキから絵本の仕事につながっていったんですね。

 そうなんです。編集者さんから絵本の話をいただいたときも「僕でよければ」という感じでお受けしました。

 というのも、絵本作家を目指してがんばって、それでもなれなくてガッカリするのが、僕は絶対イヤなんです(笑)。悲しい目にあいたくない。だからと言って、努力をしなければ「なんの努力もしていないじゃないか」と言われるのもイヤ。そういう変なプライドが、すごく高いんです。

――なるほど。

 それと絵本作家って、なにか子どもに伝えたいことや教えたいことがある人がなるのだと思っていましたが、僕はそういうのも、とくになかったんですね。

 読者である子どもに対して、「とくに言いたいことはありませんが、そこそこ満足しています。あ、怒られるのは今でもきらいですが」とか、そういう言うことなら本心で言えるな、と。

 初めて出版した絵本は『りんごかもしれない』(ブロンズ新社/2013年刊)です。この絵本は、二度とこんな話はこないと思っていたので、自分が好きだった絵本の要素をすべて入れてみました。

 とくにこだわったのは、教訓めいたことは言わないこと。僕が子どものころ、楽しみたくて絵本を手に取ったのに、途中から、なぜか偉人が出てきて説教っぽくなって「勉強しましょう」とか「生活をあらためましょう」とか、そんなことを言われて、すごくガッカリしたんです。だから、そんなことをするのはやめよう、と。

――著書の『もう ぬげない』(ブロンズ新社/2015年刊)では、主人公が1ページ目から服が脱げないと諦めてます。教訓を伝える本ではないですね。

『もう ぬげない』でやりたかったことは一個だけ、主人公に「もうダメだ」って言わせたかったんです(笑)。

 努力して、友情を得て、勝利をつかみ取る、というのが一般的な美談です。でも、僕はそういう子じゃなかった。努力ができる主人公が登場しても、僕はちっともホッとしなかったんです。

 だから、僕が描くなら誰でも失敗をくり返す主人公を描きたかった。しかもその主人公は、すぐ失敗をするのに、反省もせず同じ失敗をくり返す。そういう絵本があってもおもしろいんじゃないか、と思ったんです。

――「立ち向かわない主人公」が登場するからヨシタケさんの絵本はおもしろいんですね。

 僕自身が、立ち向かわずに逃げてきましたからね。逃げて逃げ続けて絵本作家になった、という感覚です。

 団体行動がイヤで会社から逃げてきましたし、絵本作家なのに色をつけるのが苦手なので、色付けは人にお任せしています。

 でも、そういうできないことから逃げてきたおかげでやれることもたくさんあるんです。大人や世間は「逃げるな」「立ち向かえ」といつも言います。そういう叱咤激励に対して、ずっとイラッとしてきました。

 そういうイラッとした思いを絵本にすることができました。困難から逃げ始めたときは、僕も迷ったり、コンプレックスに思ったりするときもありました。でも、思いどおりにいかなかったことは、それもひとつの財産になるんです。おもしろいことに人間は生きていると、マイナスの経験も、そこで得たものを使えるようになるんです。人は自分が思っているほど強くも弱くもなかったです。

 だから僕は、このまま立ち向かわずに逃げ続けよう、と。逃げ続けた先にある景色を見に行こう、と。

――私自身は不登校経験が原点になっているのですごく共感します。学校から逃げ続けた先にあるものを見に行こう、と。

 そうですよね。一言で「逃げる」と言っても、ひとりで逃げるのか、誰かと逃げるのかによって、中身はまったくちがってきます。

 言葉はあんがい適当なものなんです。「あきらめる」という言葉も世間では悪い意味かもしれませんが、元々の意味は「物事をあきらかにして、本質を見極める」という意味です。

「逃げる」という言葉も、自分なりに価値のある言葉にできると思います。「遠回り」や「弱さ」や「甘え」といった言葉も全部そうです。

 僕は言葉の使い方のレパートリーを増やしたり、そのためのアイディアを提供したりすることを、自分の本でやってきたつもりです。

 他人が批判的に使う「逃げる」ではなく、オリジナルな「逃げる」が生み出せたらいいですね。うまくいけば「俺には逃げる才能があるんだ」とか、「君の逃げ方はまだまだだね」とか、強気な言い方もできるのではないでしょうか。

――ありがとうございました。

(聞き手・文/石井志昂)