メディアに現れる生物科学用語を生物学者の福岡伸一が毎回一つ取り上げ、その意味や背景を解説していきます。今回は、依然、猛威を振るう「新型コロナウイルス」について取り上げます。



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 新型コロナウイルス問題が新たなフェーズに入ってきた。

 これまでは感染者をできるだけ的確に見つけ出して隔離し、伝播を防ぐことが目指されていた。だが、世界的にここまで大規模に感染が広がった今、むしろ発症者と非発症者を含めて、どれくらいのポピュレーションが免疫を獲得したか――それを把握した方が、社会的・経済的な抑制を緩和する手がかりをつかみやすいのではないか、という方向性が模索されはじめた。このため、米国やヨーロッパを中心に抗体検査が実施されはじめ、意外なことにかなりの高頻度ですでに抗体を持っている人が見つかっている(米ニューヨーク州の最新のデータでは約20%。ただし、検査数がまだそれほど多くないので確定的なことはいえない)。

 これまで、あまり生物学や医学に関心がなかった人も、この間、急速に新しい検査技術や術語を次々と知ることになったと思う。ちょっとここで知識を整理しておこう。

 まずは、ウイルス感染の有無を診断するPCR法である。これはポリメラーゼ連鎖反応の略で、目的とする遺伝子を倍々に増幅して検出する画期的なバイオテクノロジー。非常に鋭敏に、かつ特異的にターゲットを検出できる。特異的というのは、たとえば新型コロナウイルスであれば、類似のSARSやMERS、あるいは同じ仲間のコロナウイルスとは区別して検出することができる、という意味である。遺伝子配列の微妙な差を利用して、新型コロナウイルス遺伝子だけをピックアップすることができる。

 一方、感染の履歴を調べる抗体検査の方は、ウイルスの有無を調べるわけではない。病気から回復した人、もしくは感染しても症状が現れなかった人の身体にはもはやウイルスがいないことがほとんどだ。そのかわり、ウイルスと戦った証として、血液中にウイルスに対する抗体が生産されている。この抗体の有無を調べるのが抗体検査で、こちらは抗体=タンパク質をターゲットとした検査となる。

 原理はPCRよりも単純で、ウイルスタンパク質を固定した紙の上に血清を垂らす。もし抗体が血清に含まれていれば、ウイルスタンパク質と抗体の複合体ができるので、今度はもうひとつ別の抗体を使ってその複合体を検出する。妊娠検査薬や排卵チェッカーと同じ原理である。

 抗体検査の問題点のひとつは、特異性である。

 タンパク質の検出は、PCRほどは特異的にできないので、他のコロナウイルスに対する抗体を持っている人も陽性と判定してしまう可能性がある。普通のコロナウイルスは昔から存在し、軽い風邪を引き起こしていた。特異性に関しては、モノクローナル抗体を使った方法により、より鋭敏なキットの開発が急がれている。

 しかし、さらに原理的な問題がある。

 抗体を持っているからといって、二度と新型コロナウイルスに感染し、発症しないかどうかわからないということ。それから、ウイルスに感染して免疫をつけた人がみんな、抗体検査で陽性となるかどうかわからないこと、さらに、一度得た免疫がどれくらいの期間、持続するかもわからないこと、などなど新型コロナウイルスに対する免疫反応はまだわからないことだらけである。

 免疫学の一般論からいえば、抗体検査陽性ならかかりにくいはずだとは言えても、それが社会的・経済的パスポートみたいに通用かといえば、今のところむずかしい。また、抗体陽性が、人々の管理や分断の道具に使われるのも好ましくない。かといって、ワクチンや特効薬がまもなくできて、霧が晴れるように問題が解決し、世界が祝祭モードに包まれる、という風な解決も夢でしかない(ワクチンが開発・認可されて普及するには数年以上がかかるだろう)。

 ということで、コロナ問題とは長期的な共存戦略をとるしかない。新しいパラダイムと生命哲学が必要となる。

○福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

※AERAオンライン限定記事