まだ世の中がこんなじゃなかった頃、ママ友と子どもを連れて集まり、お昼ごはんを食べる機会がありました。その日集合したのは、二児の母である日本人、花子のお宅。アメリカ人ママのフローレンス、そして私もそれぞれ子どもを2人連れ、大人3人に0〜5歳の子どもが6人と、大騒ぎのランチ会になりました。



 花子の子2人はとても活発で、1秒たりともじっとしていられないタイプです。唐揚げを2つ3つポイポイッと口に放り込むと、すぐさまおもちゃの方へ飛んで行きました。花子は「食が細い」「好きなものにしか手を付けない」「落ち着いて座っていられない」と困り顔で2人の様子を見ていました。

 わが家の上の子は、食卓にこそついているものの、食べるよりおしゃべりするのが好きなタイプ。話すのに夢中で手元と口元がおろそかになり、ごはんをぽろぽろこぼします。およばれしていることもあって神経質になっていた私は、「汚してごめん」と花子に謝り、「口より手を動かしてほしい」「おしゃべりしてばかりで困っちゃう」と愚痴をこぼしました。

 一方、フローレンスは違っていました。子どもたちが食べる様子を、心から楽しそうに見守っていたのです。その日初めてお箸を使ったという彼女の子どもたちはテーブルと床下にごはんつぶをまき散らして真っ白な惨状を作り上げていたのですが、それでもフローレンスは「この子たち、食べるの大好きなの」「日本の食べ物も好きみたい」「お箸をうまく使えてる」と嬉しそうに話していました(彼女の名誉のために補足すると、食後はしっかりごはんつぶの片付けをしていました)。

 食後の様子だけを比べると、風のように食事を済ませた花子の子、小言を言われながら食べていた私の子のテーブルのほうが、よっぽどきれいで望ましい状態でした。でも日本人の我々は「最後まで食べない」「おしゃべりばかり」と嘆き、フローレンスは「上手に食べている」とほほ笑む。日本人は子どものできない面に焦点を当てて謙遜し、アメリカ人はできる面を見てほめる傾向にあるとよくいわれますが、その言葉がそっくりそのまま食卓に表れていました。

 なぜ日米でこのような違いが生まれるのか。日本人は子どもを自己の延長にあるとみなし、卑下するからだという意見も聞きますが、個人的には日米の親にそこまでメンタリティの差異があるとは思えません。日本人もアメリカ人も同じくらい子どもを誇りに思い、同じくらい悩みを抱えています。違うのは、コミュニケーションの作法です。日本人は子どもの話をするときは「下げる」ことが前提で、むしろ「いやいやそんなことはないでしょう」と相手が否定するまでが会話の形式になっている。他方アメリカでは「上げる」が基本で、たまに日本人的な「下げる」をやってしまうと、怪訝な顔をされます。コミュニケーションの作法から外れるからです。

 アメリカの人は、本当によく子どもを「上げ」ます。たとえば小学校に、その月に優秀な成績を収めた生徒を表彰する制度があるんですが、子どもが表彰されると「うちの子は今月の優秀者に選ばれたんです!」なるステッカーを車に貼る人がいます。SNSに投稿する人もいます。幼い子どもだけでなく、成人した子も手放しでほめます。結婚式のスピーチでは、花嫁のお父さんがこう言います。「世界一の女性と結婚できて、お前は世界一の花婿だぞ!」。日本だと「ふつつかな娘ですが、何卒よろしくお願いします」になるのではないでしょうか。

 結婚後も、アメリカ人の身内上げは続きます。義母にうちの子(つまり義母にとっての孫)はこんなことができてあんなこともできて、と報告すると、決まってこういう結論に落ち着きます。「父親も小さい頃から優秀だったからね」。──ま、それはいいんです、ひがんでなんかいません。ただ納得いかないのは、私の両親も夫を上げるってことなんです。「すごいね、父親ゆずりの才能だね」と。アメリカ人同士の夫婦だったら、実の親から「お前によく似たんだね」と浴びるようにほめ言葉を受け、日本人夫婦だったら義理の両親がほめてくれるのでしょう、きっと。でもアメリカ×日本の国際結婚である我々の間には、ほめ言葉の不均衡が起きています。アメリカ人は身内を上げ、日本人は下げるという文化のために。

 私の場合はいい大人なので、「日米でコミュニケーションのやり方が違うからなー。うちの親だって、孫が父親だけに似てると心から思ってるわけないよ、たぶん」と自分に言い聞かせることができますが、小さい子どもだとそうはいきません。親の言うことを言葉通りに受け取ってしまいます。言葉には力がありますから、日々「下げる」言葉を聞かせていると子どもの能力を本当に下げてしまうことにもなります。冒頭でお話ししたように私の子が食事中おしゃべりしてばかりなのは、「うちの子は食べるときおしゃべりしてばかりで」と常々口にしていたからなのでしょう。ですから、いくら謙遜が日本的な会話の作法だとしても、小さい子どもの前では例外にしたほうがいいんじゃないかと思うのです。

 休校休園、自宅待機が続く今は、子どもをベタぼめするチャンスです。人に会う機会が減ってしまったのは寂しいですが、そのぶんコミュニケーションの作法にとらわれることなく、思う存分子どもをほめることができます。何もかも落ち着いてまたママ友ランチ会ができるようになったとき、躊躇せず子どもをほめることができるようになっていたい。今の自宅待機はそれまでのレッスン期間なのだと自分に言い聞かせ、子どもを手放しでほめる毎日です。

◯大井美紗子
おおい・みさこ/アメリカ在住ライター。1986年長野県生まれ。海外書き人クラブ会員。大阪大学文学部卒業後、出版社で育児書の編集者を務める。渡米を機に独立し、日経DUALやサライ.jp、ジュニアエラなどでアメリカの生活文化に関する記事を執筆している。2016年に第1子を日本で、19年に第2子をアメリカで出産。ツイッター:@misakohi

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