日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介する本連載。老舗を20年以上勤めあげてから独立した横浜・本郷台の人気店の店主が愛する一杯は、保土ヶ谷の閑古鳥の鳴く商店街で行列を成す、手作りにこだわった醤油ラーメンだった。



■駅から10分 住宅街でラーメン店を開業

 JR根岸線の本郷台駅から徒歩10分。閑静な住宅街の中に古びたアメリカンガレージのような建物が見えてくる。2018年にオープンし、この6月で2周年を迎える「Ramen Free Birds(ラーメン フリーバーズ)」はアメリカのヴィンテージものを愛する店主・宮本智さん(54)がボロボロの建物を改装して作った地元に密着した知る人ぞ知る名店だ。

 およそラーメン店とは思えない外観だが、余計なものは足さない“引きの美味しさ”を追求したシンプルな醤油ラーメンが人気を呼んでいる。淡麗でじんわりと美味しいスープに柔らかめの細麺を合わせたラーメンは学生からお年寄りまで地元の幅広い層に受け入れられ、いい意味でクセのない一杯を仕上げている。

 20代をサラリーマンとして過ごした宮本さんだが、30歳の節目にラーメン界に転身。有名店の門を叩き、修行することなんと20年以上。気が付けばその店を支える重要なポジションを担っていた。宮本さんが独立すると聞き、筆者も含め、ラーメンファンの間に衝撃が走ったことを覚えている。なぜ、自分の店を作ることにしたのか。宮本さんは言う。

「長くこのエリアに住んでいるので、地元の人に自分が作るラーメンを食べてもらいたいという思いで始めました。自分の店なので気楽にやりたいと思っていましたが、いざ作り始めると凝り出してしまいますね(笑)」

 そのこだわりはラーメンフリークに広がり一躍人気店になる。一方で、宮本さんの狙い通り、地元のお客さんが多いのも特徴だ。取材中にも、近所に住む家族が宮本さんに野菜を差し入れしにやってきた。住宅街に構えているからこそ生まれる街の人との交流が楽しいと宮本さんはうれしそうに語る。

 たとえば、昨年は近所に住む小学生がラーメンの研究発表をしたいと宮本さんを訪ねてきた。「Free Birds」のラーメンが好きで、ラーメンの作り方を教えてほしいというのだ。

宮本さんは休憩時間や定休日を使って少年にラーメン作りを丁寧に教えた。カメラを片手に持ちながら、ラーメン作りを覚えていく少年。その時のうれしそうな顔が忘れられないという。後日、少年から研究をまとめた一冊のスクラップブックが届けられた。

「とても素敵なスクラップブックでした。“街と生きる”ってこういうことなんだなと日々感じています。この街に長く住んでいますが、この2年間で地元の良さを改めて知りました。自分のラーメン一杯で街の人たちと繋がれるんですよね」(宮本さん)

 妻と二人で切り盛りする「Free Birds」。都会のラーメン戦争とは離れた、街とともに生きていくラーメン店。「あと10年は頑張りたい」と宮本さんは話し、本郷台の人々を笑顔にするために今日もラーメンを作り続けている。

 そんな宮本さんの愛するラーメンは、横浜の保土ヶ谷にある手作りにこだわった醤油ラーメンだ。17年9月オープンのその店は、ラーメン雑誌で「Free Birds」と並んで掲載されていることが多く、ずっと気になる存在だったという。

■カメラマンを諦め、29歳でラーメンの世界へ 

 JR横須賀線の保土ヶ谷駅を降りて徒歩3分。国道1号線沿いの商店街の中にひときわ目立った行列を成すラーメン店がある。「櫻井中華そば店」だ。

 信州黄金シャモを中心とした鶏の旨味が強いスープに、深みのある醤油ダレを合わせた見た目以上に主張の強い一杯だ。ここに合わせるのは王道の細麺かと思いきや、自家製の中太の手もみ麺。流行りの淡麗系の醤油ラーメンと一線を画する個性が多くのラーメンファンを引き付け、人気店となっている。

 店主の櫻井啓吾さん(39)は横浜市の戸塚出身。中学・高校時代からラーメンが好きで、土地柄、横浜家系ラーメンをよく食べていた。高校卒業後はカメラマンを志して専門学校に進学。その後、雑誌の編集部でカメラマンのアシスタントを務めた。

 仕事を始めてからもラーメン好きは変わらず、写真の現場に行くついでにラーメン店を巡るのも楽しみの一つだった。特に好きだったのは駒沢の「せたが屋」「ふくもり」や「つけめんTETSU」。当時は豚骨魚介系の全盛の時期で、人気店が多数オープンしてブーム化していた。

 だが、一流のカメラマンになるまでの道は遠く、なかなかお金も稼げない日が続いた。カメラを続けるべきか、将来を迷う櫻井さんに追い打ちをかけるかのように、カメラ業界も変化していく。当時のカメラ業界は、フィルムとデジタルのちょうど分かれ目の時代。フィルムが好きだった櫻井さんにとって、デジタル化の流れは夢の終わりを示していた。

 そんな頃、よく通っていた「せたが屋」の店主がテレビで月収を発表しているのを見た。その金額に驚いた櫻井さんに、ラーメン職人として生きていく選択肢が芽生えた。

 ちょうどこの時、横浜市の反町にある「ShiNaChiKu亭」で淡麗系の醤油ラーメンの魅力を知った。ラーメンをやるならば自分の店を開きたい。当時27歳だった櫻井さんは、ラーメンの世界に入る前から独立を視野に入れ、開業資金を貯めるために新聞配達や営業の仕事にまい進した。そして600万円を稼いだ後、29歳でラーメンの世界に入る。

 修行先に選んだのは厚木市にある「麺や 食堂」だ。ここはラーメンの味だけでなく、接客も素晴らしいことで有名だった。子ども連れのファミリーをとても大事にしており、子どものために駄菓子やおみくじなどを置き子どもたちの笑顔が絶えない地元に愛される店である。本連載で以前紹介した「らあめん 鴇(とき)」の店主・横山巧さん(33)も同時期に働いていたという。

 しかし、未経験で入った櫻井さんには通用するものが全くなく、周りとの大きな差にラーメン職人の厳しさを思い知る。このまま続けるよりも環境を変えた方がいいと考え、半年で退職する。

 今度は府中市にある「麺創研 かなで」の門を叩いた。同僚にも独立志望の人が多く、その中で揉まれながら必死にラーメン作りを覚えたという。6年間の修行の後、独立の日を迎える。

 当初は地元・戸塚の近くで物件を探していたが、思うような店がなかなか見つからず苦戦。そんなある日、保土ヶ谷の商店街にある物件を紹介される。書店の跡地で居抜きとしては使えないが、駅の近くで場所は悪くない。開業資金を貯めていたため改装費は支払えそうだった。さらに、このタイミングで修行先の「麺創研 かなで」が移転することになり、旧店舗の厨房設備を退職金代わりに譲ってもらえることになる。17年9月、「櫻井中華そば店」はオープンした。

 開店祝いの花もたくさん届き、滑り出しは好調。ラーメンフリークや、噂を聞き付けた地元の客でも賑わった。しかし、そんなオープン景気もあっという間に過ぎ去り、わずか2カ月で閑古鳥が鳴き始めた。櫻井さんは言う。

「駅から徒歩3分と一見良さそうな場所ですが、保土ヶ谷にはオフィスも学校もほとんどなく、そもそも人が少ないんです。飲食店も少なくて、商店街の3分の2はシャッターを閉めている状態。立地が悪かったと気付きました」

 売り上げはオープン当初の半分以下にまで落ち込む。しかし、それでも常連客が残っていたこともあり、味の手ごたえはあった。街に人がいないのであれば、味で人を呼ぶしかない。櫻井さんは愚直に味のブラッシュアップを続けた。

 すると、少しずつ雑誌などメディアの取材依頼が来るようになる。18年には業界最高権威とも言われる「TRYラーメン大賞」で新人賞のしょうゆ部門第6位にランクイン(第7位が「Free Birds」)。認知度が上がり、客足も戻り始めた。遂には駅の反対口からも人がきてくれるようになり、土日では30人待ち、平日でも2〜3人の待ちができるほどの人気店に成長した。

「まだ100点の味は出せていないです。やりたいことはたくさんあります。答えがないことがラーメン作りの魅力でもあるし、苦しさでもありますね。まだまだ美味しくしていきます」(櫻井さん)

「Free Birds」の宮本さんは、櫻井さんの腕を高く評価する。

「オープンした時期も近く、淡麗系のラーメンを出されていて、ずっと気になる存在でした。スープはマイルドで醤油の香りと自家製麺の手もみのバランスが素晴らしい。一杯の丼から研究熱心なことがビシビシ伝わってくるんです。こういった若い方がラーメン界をどんどん伸ばしてくれると思います。次世代を担うラーメン職人になってもらいたいですね」(宮本さん)

 櫻井さんも「Free Birds」のラーメンのファンだ。

「とにかく完成されていて、ラーメンを知り尽くした人が作っている一杯だなと感じます。駅から離れたあの場所で勝負するのもすごい。店全体が宮本さんの趣味の空間で、そこで誰もが美味しく食べられるラーメンを提供している。理想の店だと思います」(櫻井さん)

 オープンが近いことで意識し合った両店だが、地元に根差した店作りをしているところも共通している。店自体が街になくてはならない存在になれば、その街の活性化にも繋がる。歴史を辿れば、ラーメン屋とはそういうものだったのだろう。(ラーメンライター・井手隊長)

○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho

※AERAオンライン限定記事