明治の文化を調べて日々“遊んでいる”という作家の山下泰平さんが、数年前から注目しているのが明治時代の「簡易生活」。人づきあいや見栄・虚飾を一切やめるという究極のシンプルライフのことだ。その実態は『簡易生活のすすめ――明治にストレスフリーな最高の生き方があった!』いう一冊にもなっている。そんな山下さんが語る「諦め」について。



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■「諦める」ことで思考がシンプルになる

 人って、人生に何かを期待してしまうと思うんです。お金持ちになりたいとか、何かをなしとげたいとか。でも、生きることは「諦める」ことだと考えると、執着がなくなってシンプルに生きられるようになると感じています。

 僕の場合、人生で何度か「諦めた」と感じた瞬間があるのですが、初めては、小学校2〜3年生の頃だったと思います。

 それまでは、なんだかんだと楽しく生きてきたのですが、あるとき1日1回はイヤな思いをするなと気付いてしまったんですよ。頭が痛いとか、喉がイガイガするとか。これが一生続くのかと。

 朝起きて、まず歯を磨いたり、顔を洗ったりという行為も、これから死ぬまで続けていかなければならないのかと思ったのもイヤでしたね(笑)。

 ただ、その「諦め」というのは「死にたい」ということじゃないんですよ。不快なことも、うれしいことも受け止めて、背伸びせずに生きていくということです。

 今から振り返ってみると、それは「簡易生活」的な考え方でもありました。

 明治に発行された雑誌『家庭雑誌五巻九号』には、「煩悶とは何ですか」という投書があり、そこでは面倒な理屈を付けてゴチャゴチャ考えるのではなく、「唯一歩一歩光明の方へ進む工風をするのが利口」と結論づけられていました。要するに、手と頭を動かして工夫しろということですね。

 僕の言う「諦め」は、これに近いです。

 小学生の頃だけでなく、20代でも30代でも色々と諦めて、今では人からシャキッと見える人生を歩むことを諦めています。

 大学卒業には7年間かかりましたし、就活はしていませんし、今でも派遣社員です。

 でも、目の前に好きなことがあって、それに取り組んで多少評価されるとうれしいと思える。高い目標は不要という意味での諦めです。今の自分なら、仕事を淡々とこなして、たまに文章を書いてネットに公開し、褒められるのがとちょっとうれしい。そんな生活です。

 それ以上を求めてはいないですね。だから、夢もあまりもっていません。あえて言うなら、温泉にすぐに入れて、スーパーでおいしい魚が帰るとこに住めるといいなとは思います。書いた本も売れたらいいなとは思いますが、自分の考えを変えてまで売れ筋を狙おうなんてことは思っていません。

 何かに執着すると煩雑になるので、「とらわれない」ことで簡易的に生きる。そうすることで、自分は今、楽しく生きていくことができています。

■ムダなことでも「趣味」ならオーケー

「諦める」ということは、他人や道具にも過剰な期待を持たなくなるということでもあります。

 たとえば、家電や家具なんかもそうですね。自分の好みや求める機能の全てを満たす商品はなかなかありません。みんながどこかで妥協をしています。

 実は若い頃に、同じ機能を持った道具は家にひとつにしていたことがあります。ガスコンロと電子レンジは同じ「温める」ものであるから、どちらかだけを置くというふうにです。便利さを諦めることによって、生活がシンプルになりましたが、やはり不便は不便でした。これも一種の無駄なこだわりだなと思い、今は丁度良いところで妥協をしています。

 人に対してもできることしか求めませんから、仕事も円滑になります。各々ができることとできないことをはっきりと見極め、機械的に役割分担を決めてドライに物事を進めていくと、作業はスムーズに進みますし、余計な気遣いからくる人間関係に煩わしさを覚えることもなくなります。

 僕自身は「諦める」ことで、幸せになれると思っていますが、一方で、情熱をもって生きることを否定してはいません。なぜなら、それは「趣味」の一環だからです。

「簡易生活」は、趣味=自分の興味を中心に生きることも推奨しているんです。明治時代の小説家・上司小剣(かみつかさ・しょうけん)も、「人生には趣味と云うことが必要です」(『簡易生活 第二号』)と言っています。年末年始にある虚礼の数々は煩わしいけれど、もし、その風習を自分が愛していて、なおかつ他人に迷惑をかけないのならば「趣味」であるから、どんどん実践すべきであるという主旨の発言です。

 これは僕も賛成です。「趣味」の範囲であれば、ムダに仕事を抱え込んでも、ボールペンを10本以上在庫していても問題ありません。結局、「簡易生活」とは、自分にとって「簡易な生活」を送りつつ、「良く生きよう」とする生活態度のことなのですから。

 シンプルに生きるのは本当に楽で、自分の時間を生み出せます。たとえば僕の場合、毎日のルーティンを決めています。朝、起きたらコーヒーを飲んで、歯を磨き顔を洗います。子供の頃は絶望しましたが、大人になった今では洗顔歯磨きも、なかなか気持ちの良いものだなと感じます。職場に行って仕事をして、昼ご飯は公園で食べ家に帰る。こうやって考えることを減らすことで、「国立国会図書館デジタルコレクション」で明治の資料を読む時間を増やしています。

 私は研究者ではありませんから、古い資料を読み込んだところであまりメリットはありません。ただ面白いだけですが、ここは諦めたくないし、情熱を注ぎ込んでいます。

 面白さを確保するために、仕事を効率化し生活を簡易にしていく。気が向いたら、面白さを人に伝えるために文章を書く。

 こんなことを続けながら、なんだかんだで気楽に面白おかしく生活できています。

 もし、今の生活に息苦しさを感じているのならば、明治時代のシンプルライフである「簡易生活」にひとつのヒントがあるかもしれません。