哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。



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 3年前に凱風館門人で済州島の地域研究者である伊地知紀子先生に就いて、ハングル書堂という勉強会を始めた。「六十の手習い」どころか古希になってからの外国語習得はなかなかつらいものがある。それでもなんとか続けていられるのは、伊地知先生がまったく怒らず、生徒たちの出来不出来を気にしない鷹揚な先生だからである。おかげで私のような劣等生も脱落せずについていける。

 今日のハングル書堂の教材がメールで送られてきた。「愛の不時着」の話らしい。たぶん先生がこのドラマについて語りたいことがたくさんあるのでこの教材を選んだものと思われる。でも、「そういうこと」ができるというのはかなり例外的なことだと言わなければならない。「そういうこと」ができるのはハングル書堂の受講生の大半がこのドラマ全16話をNetflix(ネットフリックス)ですでに見ているということが前提になっているからである。

 先日、在日コリアンの方たちが凱風館を訪れて、日韓問題についての座談会を行ったことがあった。歴史解釈にいささか意見の相違があって、わりとタフな座談会だったが、終わってからの昼食の席で、誰かが「愛の不時着」について話し出したら、全員が身を乗り出して、おしゃべりが盛り上がった。在日の方には複雑な思いがあるようで、「北を美化し過ぎている」という人もいれば、「南北統一の夢がこういうかたちで語られるようになったのは慶賀すべきことである」と評価する人もいた。

 私は朝鮮半島の問題について語る場合には、日韓の誰を相手にしてもつねに知識不足を指摘されることに怯えている。「こんなことも知らない人間に朝鮮半島の問題について語る資格はない」とはねつけられるリスクをつねに冒しつつ、薄氷を踏む思いで私見を語っている。

 でも、「愛の不時着」はそのストレスから私を解放してくれた。誰からも叱責されたり、査定されたりする不安なしに、ドラマに仮託された韓国の人々の南北統一の「夢」について私は語ることができる。

 そのような機会を多くの視聴者に提供してくれたという一点において、このドラマの歴史的貢献を私は多とするのである。

※AERA 2020年7月13日号