うつ病を克服し、偏差値29から東大に合格。ベストセラー『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』の著者・杉山奈津子さんが、今や5歳児母。日々子育てに奮闘する中で見えてきた“なっちゃん流教育論”をお届けします。

 この連載が本になりました。タイトルは『東大ママのラク&サボでも「できる子」になる育児法』です。杉山さん自身が心理カウンセラーとして学んできた学術的根拠も交えつつ語る「私の育児論」を、ぜひご覧ください。

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 私のところに、何度か「入りたい大学があるがセンター試験の成績が悪く、浪人すべきかどうか悩んでいる」という悩み相談がきたことがあります。

 私は、「自分の入りたいところに行くべき」だと思っています。もちろん別の大学に入っても、新しい環境の中で自分のやりたいことが見えてくるかもしれません。それはそれでいいことだと思います。ただ、現役で入った大学で嫌なことがあると「もし志望校に入れていたら違ったかもしれない」というように考えてしまう可能性も出てきます。

「希望した大学に入れなかった」という後悔をずっと引きずってしまうかもしれません。それならば、浪人しても入りたい大学に行くほうがよいのではないでしょうか。

■進学校でみんなが東大に行くから……にイラッ

 ただし、なぜその学校に行きたいのか理由が不明瞭で、断固とした目的がないのならば、志望大学に固執する必要はないのかもしれません。というのも、大学受験に関して考えてみると、受験生のほとんどが高校の時の偏差値で、大学と学部を決める傾向にあるからです。

 こうしたやり方には常々、疑問を覚えていました。多くの人は、自分に合った偏差値か、それよりも少し上を目指す、という方法で志望校を選んでいました。東京大学に入った人も、志望理由を聞くと、やりたいことがあったという人もいれば、「入れるくらいの成績だったから」という理由だったり、「進学校で周りのみんなが東大に行くから」なんていうイラッとする理由だったりもしました。成績がよいという理由で、 東京大学の法学部に入るか、医学部に入るか迷っていた、という人もいます。

 でも、文系と理系では大学で学ぶことが全く違うし、ある程度、方向が決まってしまうことでしょう。学部は就職する時に非常に重要なものとなります。職業だって、たとえば医者になりたいならば、医学部を卒業して国家試験を受け、医師免許を取らなくてはなりません。薬剤師試験も、薬学部を卒業していなければ受験資格が与えられません。自分の将来に対し、じっくり「何がしたいか」を考えられないまま、学部を決めなくてはいけない点は、日本のよくないところだと思います。
 
 私は、高校生の時点で自分の職業に大きく関係してくる学部を決めるのは、時期尚早すぎるのではないかとずっと考えていました。高校生の生活は、大体は家と学校の往復であり、いま振り返れば、非常に狭い世界だったと思います。

 対して大学に入ると、社会に触れる機会がぐんと増えます。さまざまな職種の社会人と話す機会も増えますし、インターンシップも経験できます。先輩たちに聞きに行くこともできるし、会社の中でも「こういう業種がある」といろいろ教えてくれます。 
 
 最近になり、海外の学校では、学部を変えることは特に珍しいことではない、ということを聞きました。例えばアメリカでは、入学の時に専攻する分野を決めずに入ることができます。そして2年間かけて教養の授業を勉強した後、学部を決めていきます。
 
 さらに職業を決める時も、大学に入る時からインターンシップをして会社で働き、自分に合った会社を見つけたらそのままそこに就職するというスタイルなのだそうです。日本では会社に入ってから、どんな仕事をするのか教えられますが、アメリカでは入る前からすでに、「こういう仕事をする」ということが分かっているわけです。

 つまり、入ってから「思っていた仕事と違う」「自分のやりたいことではない」というギャップが生まれにくいのです。それにもかかわらず、実は日本では、「なんとなく転職しにくい」という空気が故意に作られているのです。

■卒業して1年経つと「既卒者」となり、就職が難しくなる
 
 日本の企業は、「新卒一括採用」といって、新卒者(卒業予定の学生)を毎年一括して採用試験を行い、卒業後にすぐ勤務させるという形式をとっています。この雇用形式でいまいちよく分からないのが、卒業して1年経ってしまうと「既卒者」として扱われ、就職が格段に難しくなる点です。

 既卒者にならないため、希望した会社に就職できなかった学生がもう1年就職活動をしようとすると、わざと単位を落として学校を卒業せずに「留年」という形をとるケースが多く、これを「就職留年」と呼びます。これは日本特有の雇用形式で、慣例的なものになっているのですが、留年した学生は大学に学費を納めなくてはならなくなるため、非常に無駄で、無意味な部分が多いような気がしてしまいます。

 こうして学生側は高いお金を学費として払わなくてはならないわけですが、企業にとって何かいいことがあるのでしょうか。もし卒業していたとしても、2、3年くらいなら「新卒者」として扱ってもいいのではないでしょうか。
 
 さらにこの新卒採用の裏には、当然、企業側のメリットがあります。他社で働いた経験がある人よりも、自分たちの会社の色に染めやすいのです。日本人は協調性を重視することもあり、最初に就職した企業にも愛着がわいてきます。そして研修を受けさせてもらい、社会人として育ててもらったという恩から忠誠心が生まれ、いつのまにか転職しにくい状況が作られていきます。

 現在は外資系の企業も増え、実力主義、成果主義になっていき、終身雇用や 年功序列の時代は終わったと言いますが、実際はとても消えたとは言えない状態です。そもそも新卒採用をすることで、企業の年齢バランスをとっている部分があるのも確かで、愛着心から転職をしにくくなれば、結局は年功序列の会社になっていきます。

 一生のうちに、やりたいことが変わっていくのは、人間として自然な感覚ではないかと思います 。例えば転職や、学部の変更は、日本では海外に比べて、しにくい仕組みになっています。

 先日、ベンチャー企業を立ち上げた友人と話をした時、「大学なんて途中でやめてもいい」「会社に入って別のやりたいことが見つかればそちらにいけばいい」とサバサバしたことを言っていましたが、一度大企業に入ってしまった人は、そんなふうに考えるのはなかなか難しいのではないかと思います。「せっかく大学を卒業したのだから」「せっかくこの会社に入ったのだから」という保守的な考え方が、自分のやりたいこと、可能性を狭めているように感じます。

 私が就職の時に、「大きい会社から小さい会社に移るのは簡単だけど、小さい会社から大きい会社に入るのは難しい」というアドバイスを周りから何度も聞きました。ですから保険的な意味で、とりあえず大企業を選ぶ人もいるでしょう。そして一度決めてしまったら、ほかのところに移るのは難しいという環境は、特に大企業のほうが顕著のように思えます。

 ノーベル賞を取った山中伸弥先生が、「ノーベル医学生理学賞を受賞した利根川進先生の言葉に救われた」という話があります。利根川先生は山中先生に対して、「面白いことを科学者はやるべきであって別に持続性なんてなくたっていいと思う。僕はわりと飽きるたちですから、一生同じテーマをやるなんて考えられない」と伝えたことがあるそうです。
 
 山中先生は、学生に向かって、「ある実験が予想外の結果をもたらすことがある」と話しました。先生は最初、動脈硬化の研究をしていましたが、その遺伝子はがんに関係しているということが判明したそうです。そこから改めてがんの研究を始めたら、今度は、がんにはES 細胞が重要だと分かり、さらに再生医療の研究を始めて iPS 細胞でノーベル医学生理学賞をとるに至ったとのこと。そして、「興味を追い求めていくことが大切であると思います」という言葉で締めくくりました。

 実際に山中先生の経歴をみると、その行動力に驚くものがあります。臨床医師になりたくて神戸大学の医学部へ進学後、整形外科の仕事をしていたが退職し、その後は大阪市立大学の薬理学教室で研究を始める。それからアメリカに留学をし、 帰国したのち大阪市立大学に戻るも、奈良先端科学技術大学に移り iPS 細胞の開発に成功し、さらにそこから京都大学に移っています。

 ちなみに私は薬学部に在籍しており、定員は80人でした。でも、その中で卒業後、なんと10人以上が、医学部に編入するか入り直したのです。 「本当に薬学部に行きたい人にとっては邪魔な存在だよなぁ」と思いつつ、卒業した後から再スタートを切るという勇気はすばらしいものだと思いました。

 東京大学の農学部を卒業してから医学部に入り直した人もいますし、獣医学部で6年間勉強した後、医学部に入り直した人もいます。
 
 日本は、大学や就職の仕組み的には、自分の本当にやりたいことを、やりにくい環境かもしれません。ただしそれは、本気でやろうと思えば自分で変えられるものでもあります。

■行動を起こすかどうか迷ったら、死ぬ間際を想像する

 人が死ぬ間際に後悔する10のこと、があります。その中の一つは「他人の目を気にせずにもっと自分のやりたいことをやればよかった」というものです。私は何か行動を起こすか起こさないか迷った時は、変な話ですが、自分の死ぬ間際や、お葬式のシーンを想像することにしています。

 こうすると、死ぬ間際の私が過去を振り返った時、この行動に関してどう思うだろうと俯瞰して考えられます。また勇気が出なくても、「どうせ何年後かにはみんな死ぬんだし」というような気分になれるので、その場の一時的なためらいの気持ちを捨てることができます。
 
 死ぬ間際に後悔するのではなく、常にこの「挑戦する気持ち」を失わないようにしたいものです。息子が中学生頃になったら、挑戦した人の話を聞かせていこうと思っています。
 
 過去に聞いた印象に残っている話で、カーネル・サンダースがケンタッキーフライドチキンで成功したのは70歳を超えてからだ、というものがあります。このことを思い出すたびに、「年齢で、自分がやりたいこと、挑戦する気持ちを抑えてしまうのは、とてももったいないことだ」と改めて心の中で意識しています。もちろん年齢だけではなく、環境のせいにして、自分の行動を制御するのはやめようと決めています。