メディアに現れる生物科学用語を生物学者の福岡伸一が毎回一つ取り上げ、その意味や背景を解説していきます。今回は「抗体検査」について取り上げます。



*  *  *
 粘膜に存在するウイルスのRNAを検出したり(いわゆるRT−PCR法)、尿中の絨毛性(じゅうもうせい)ゴナドトロピンを検出したり(妊娠チェッカー)、あるいは黄体形成ホルモンを検出したり(排卵チェッカー)、といった生化学的測定法は、いずれもターゲットとなる分子が単一である。つまり物質の構造が明白である。それゆえ特異性が高い鋭敏な検査が行える。

 PCRの場合なら、ターゲットのRNA配列にピタリと貼り付く相補的DNAプライマーを用意すれば、他のノイズを拾うことはほとんどないし、妊娠チェッカー、排卵チェッカーのような検出キットの場合も、それぞれのホルモン(タンパク質)の構造はヒト個人間で同一なので、特定のアミノ酸配列に結合するモノクローナル抗体さえあれば極めて信頼性の高い測定が可能となる。

 一方、その人に免疫があるかどうかを検査することは原理的に難しい。

 というのも、新型コロナウイルスに感染した経験があり、それに対して特異的な抗体が生産されたとしても、その抗体は個人個人で全くばらばら、分子構造が異なるものであり、しかもウイルスのどのタンパク質に対しても、複数の抗体(ポリクローナル抗体)が生産される可能性があるからだ。つまり、単一ではなく、多様性のあるターゲットを捉える検査はよりハードルが高くなる。

 マクロファージ(外敵を捕捉する免疫細胞)によって分解されたウイルスの抗原情報が、免疫系のB細胞に提示されることによって、抗体の生産が開始されるが、ウイルスのどのタンパク質情報が使われるかは、ほぼ偶然による。ウイルス内部のRNA結合タンパク質が抗原となる場合もある。このような内部タンパク質に抗体が作られても、ウイルスの表面には露出していないので、一次的なウイルス防衛にはそれほど寄与できないと考えられる。ウイルスのスパイクタンパク質やエンベロープタンパク質は、ウイルスの表面にあるので、これに対する抗体ができれば、感染阻止、ウイルス拡散防止に役立つと考えられる。

 抗体検査の原理は、次のようなものだ。

 被験者の血液を採取し、血清を得る。血清の中に多数の抗体が含まれている。キットの窓に血清を垂らすと毛細管現象で移動が始まる。抗体は最初のゾーンで、仕込まれていたウイルスタンパク質と出会い、結合する。抗体―ウイルスタンパク質複合体は、さらに移動して、次の検出ゾーンで、固定された抗ヒト抗体と出会う。すると抗ヒト抗体―抗体―ウイルスタンパク質複合体ができる。ウイルスタンパク質にはあらかじめ標識色素が付けられており、この検出ゾーンに複合体が集積すると、発色ラインが現れる。

 余剰のウイルスタンパク質はさらに移動し、もうひとつのゾーンで、固定された抗体(あらかじめ動物を使って調整された抗ウイルス抗体)によって捕捉される。このゾーンは対照区と呼ばれ、検査が正しく行われているか(血清・ウイルスタンパク質が毛細管現象でちゃんと移動しているかどうか)確認するところだ。ウイルスタンパク質が集積すれば発色する。

 もし、被験者の血清中に抗ウイルスタンパク質抗体ができていれば、最初のゾーンと対照区ゾーン、ともに発色ラインが出て、抗体検査陽性となる。もし、被験者の血清中に抗ウイルスタンパク質抗体がなければ、最初のゾーンは無発色、対照区ゾーンだけが発色し、陰性となる。対照区が発色しないときは、検査がうまく行われていないことなるので再検査となる。

 現在、コロナ対策に広く使われている市販の抗体チェッカーは、ウイルスのどのタンパク質を最初のゾーンに仕込んであるのか、明示されていないケースが多い。おそらくはスパイクタンパク質を用いていると思われるが、各製薬メーカーは、この点の情報をきちんと開示してもらいたい。というのも、コロナウイルスの仲間内では、スパイクタンパク質の構造に類似性があり、新型コロナウイルス特異的な免疫を検査できているかどうか、信頼性が必要となるからである。

○福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

※AERAオンライン限定記事