半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。



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■横尾忠則「文学者と画家の間に横たわるものは?」

 セトウチさん

 七月も間もなく終わろうとしていますが、東京は毎日雨が続いています。アトリエは窓を開けたまま暖房をつけています。ここ数カ月の間、来客もなく、外出もしません。昼食はスタッフにテイクアウトしてもらうか、出前で、お店に出掛けることもしません。コロナ対策の優等生の見本のようなストイックな生活をしていますが、自粛は昔からの習慣なので、ストレスになるというようなことは全くありません。むしろ今の隠遁(いんとん)生活が結構気に入っています。

 ほとんどアトリエで無為な生活を送っています。アトリエの壁には描き上がった絵と、白いキャンバスが並んでいます。描かなきゃ、という義務もないので、プレッシャーもないです。若い頃のような意欲も野心もなく、何(な)んとなく面倒臭いなと、できれば描きたくないなと思っています。こんな怠け気分もなかなかいいもんです。絵は結構、肉体労働なので、動くのがシンドイのです。じゃ、本でも読むのか、といわれても、書評のために月に2冊読むだけです。これとてお仕事なので、面白いとか、楽しいとかはいっさいないです。でも、面白くないこともやってみるのは、嫌なものを絵にすることと似ていて、絵の巾を広げるためには悪いとは思いません。

 子供の頃から、本の虫になったことは一度もなく、大人になってからは、いつか読むだろうと思ってか、何かの不満解消のためか、やたらと本を買いまくるだけで、買った日の夜にベッドの中で1、2頁(ページ)ペラペラとめくって、あとはツンドクだけで、家の中は本で狭くなる一方です。読書家というよりも買書家です。ただ画集だけはよく見ます。画集は僕にとっては旅行をしているようなものです。絵の中をあちこち旅をするのです。本は自分に代(かわ)って人が語ってくれるもので、身体を通した体験にはなりません。わかったと言っても、人の言葉を暗記しているだけです。画集は自分で物語や論理をどんどん作っていきますから、クリエイティブです。絵は言葉で語れないものを絵で語る作業です。言葉で語れるような絵を描くなら、文章を書けばいいわけです。それを言葉ではなく、身体と感性に伝えられないかなと思って絵を描いているのです。

 だからでしょうかね、本を読みたいと思わないのは。ピカソも、本はあまり読まなかったようです。フェデリコ・フェリーニは45歳まで本を読まなかったけれど、万巻の書を集めたような物凄(すご)い視覚的な映画を作りました。僕の場合は絵を描く時は頭からあらゆる観念を排除して、極力、子供の遊びの世界に、没入するようにしています。そして、できれば寒山拾得のようなアホの魂と一体化してみたいと思います。

 絵と文学は比較するものではなく、全く別のものだと思います。川端康成さんも文学は観念、絵画は肉体とはっきり区別しています。ですから画家が観念を志向したり、文学者が肉体を求めるのはおかしいのです。にもかかわらず文学者と画家の交流は昔から濃密です。20世紀の初頭、ヨーロッパでは文学者と画家は悪口ばかりいいながらお互いに作品を向上させてきました。この両者の間に横たわるのは一体何んなんでしょうね。

 今日はこんな話になりました。

■瀬戸内寂聴「数え九十九歳で絵描きになります!」

 ヨコオさん

 ワーイ! ワーイ!

 やっちゃったぁ! やっちゃったぁ!

 何を? って、大変動ですよ。

 ヨコオさんより何十年も遅いけれど、生活の革命ですよ。

 御年数え九十九歳で、小説家瀬戸内寂聴がペンを捨てて、絵筆を買いこんだのですぞ!! ホント、ホント、とうとうアタマに来たかと心配しないで!

 何十年も以前に、ヨコオさんだって、やっちゃったことだもの。何十年も経って、その真似(まね)をするなんて、カッコ悪いけれど、そんなこと言ってらんない。ヨコオさんは、とうに経験してるから、解(わか)ってくれるでしょうけれど、こんな革命は、ある日、突如として起こるものなのね。

 つらつらと考えれば、突如をかもしだす空気は、その前からムクムクしていたけれど、大変革が怖くて、グズグズしていたのは、外ならぬ本人次第なのです。

 何かを変えるということは、恐ろしいことで、決行には只(ただ)ならぬ勇気が必要です。

 結婚すること、子を産むこと、離婚すること、或(あるい)は子の親と死に別れること。

 女の生涯には、捨てておいても、様々な大変革が生じます。

 私は結婚し、子供を産み、自らその平安な生活を破り、只ならぬ人生を選び、ついに髪まで落として、百歳一歩手前まで、生き延びてきました。

 散々、苦労をしたとは、他人の評することで、自分自身では、苦労を苦労と感じるゆとりさえなく。いつも無我夢中で、一日を必死に泳いできました。

 気がついたら目の前に百歳の壁がそびえていた。何度か、死ぬかもしれない手術をしては、死なずに、生きつづけました。あとは只、死ぬ時を待つばかり。突然、どうせ、死ぬなら、もう一度、変わった生き方をしてみたいと、切実に思ったのです。

 それで、小説家から絵描きになってみようかと思ったのです。念ずれば、応えてくれる何かがあって、たちまち、若いハンサムの画家が降ったように現れ、私の年甲斐(としがい)もない夢を察するなり、その翌日、油絵の材料をぴたっとそろえて買ってきてくれました。その画家の名前は中島健太さん。

 ヨコオさん、只今、私の寝室は、彼の届けてくれた油絵の絵の具で隙間もなくなりました。

 彼はヨコオさんの隠し子かしらと思うほど、気が利く絵描きです。私の肖像画を描いてくれ、それを仏間に置きましたら、お詣(まい)りの人が、大方留守の私に逢(あ)えたように思って、手を合わせてくれ帰っていきます。もちろん、その絵の私は、実物よりずっと美人で、賢そうな表情。

 九十九歳から、私も画家になる。おそれ多いので、まさかヨコオさんの弟子にしてくれなどとは言いませんが、私たちが仲良し老親友だと知っている人たちは、

「ついに、寂聴さんが、ヨコオさんの弟子にしてもらえたんだね!」

「いや、あれは勝手に寂聴さんが、弟子みたいな顔をしているだけだよ」

 とか、もめている様子。はて、さて、どのような絵が生まれましょうか。若いハンサムの絵描きが買ってきてくれた絵の具を解き、白いキャンバスを並べ、いよいよ処女作に取りかかろうとして、ひとまず、大先輩に、ご挨拶(あいさつ)を申し上げました。

 では、また。

※週刊朝日  2020年8月14日号‐21日合併号