新型コロナウイルスへの不安や恐怖に縛られていると、何も見えなくなってしまう。大切なのは感謝の気持ちを忘れないことだ。AERA 2020年5月4日−11日号は「新型コロナ50人の提言」を特集。コピーライターで「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰の糸井重里さんが語る。



*  *  *
――テレビもネットも人との会話も、いまは新型コロナウイルス一色。まるでサイレンが街に鳴り響いているかのように、どこにいても、起きているあいだずっと聞こえてくる。

 まずはこのサイレンの音に鈍感になることですね。単純にテレビやネットから少し離れるだけでもずいぶん違ってくると思います。社会常識であるかのようにみんなが「今日の新規感染者数は○○人だった」と言っているけれど、それを知ったところで我々一人ひとりができることは結局、「手を洗うこと」と「外出を控えること」だけですから。

 それよりも、ニュースを見ているとき、子どもが「お母さん、遊んで」という目で見てきたのなら、遊んであげるほうがずっといい。

 いまは誰もが不安や恐怖で頭がいっぱいだと思います。でも、頭の中が何かで100%になるのは決していいことではない。

 僕は何かに恐怖を感じたとき、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉をいつも考えるようにしています。恐ろしいと思っていると何でもないものまで恐ろしく見えてくる、という意味ですね。でも「枯れ尾花」ではない場合ももちろんあるわけで、そこを見極めるのはすごく難しい。恐怖に縛られていると何も見えなくなってしまう。

――恐怖や不安は想像力を奪い、視野を狭くする。では一体どうすれば自分の目をしっかりと開けていられるのか。

 数カ月前、格闘技ドクターの二重作(ふたえさく)拓也さんから教わったことなのですが、人間は感謝する気持ちと恐怖を一緒に感じられないそうなんです。だから、感謝の気持ちを持とうと。今回の危機ではまず医療従事者という感謝の対象がはっきりあるわけで、僕はその人たちにいつでも感謝していようと自分に約束しました。

 感謝すべき人は他にもたくさんいます。誰もが一切動かなければこのウイルスを退治できるとしても、自分が動かない代わりに誰かが動いているんです。たとえば荷物を届けてもらうこともそうですし、「もっとマスクを作れ」というのも誰かが作ってくれているんです。ごみの収集にしてもそう。決められた日に決められた所へ置いておけば、いつの間にかなくなっている。実際にそれをやってくれている人への想像力をどんどんなくしていったことが、いま問われている気がします。

 みんな、個人の単位で人が生きているという足元を想像してみたいなって、いま改めて思うんです。そうすると、自分には何ができるだろうかと考えるようになるから。「誰かが決めてくれ」ではなく、自分自身に問えるようになる。

(構成/編集部・藤井直樹)

※AERA 2020年5月4日−11日号より抜粋