4月9日、糸井重里さんは自身のツイッターに一言「責めるな。じぶんのことをしろ。」と書き込み、いわゆる“炎上”状態になった。政権を責めるなと言っていると誤解され、政権擁護の発言だと受け取られた。1970年代からコピーライターとして第一線を走り続けてきた言葉のスペシャリストは、コロナ危機を取り巻く言葉をどう見ているのか。AERA 2020年5月4日−11日号から。



*  *  *
 いまネットニュースの見出しを見ると、「誰が誰のことを怒った」という話ばかりがずらーっと並んでいて、絶えず誰かが誰かを責め立てている。それを見たとき、「あれ? こういうことだけがニュースなのかな」と思ってあれを書いたんですけど、うまく伝わりませんでした。こちらは政治家の話をしているわけではないんですが、頭の中が政治に対する不満でいっぱいの人たちにはそう受け取られてしまったんですね。

 こういうとき、言葉は不自由になる。そもそも言葉というものは不完全ですからね。「いやぁ、晴れて良かったね」という言葉ですら、水不足に苦しむ人が聞いたら不快に思うかもしれない、そういう宿命を持っている。

 僕は東日本大震災のころから、言葉を“押し出す”のではなく“置く”ように使いたいと思っているんです。人によって受け取り方が違ってしまうのは仕方ないとしても、「その言葉が置いてあってホッとした」というようなことができたらいいな、と。いまだに上手ではないですけどね。でも、それでいいと思っています。上手だと、その都度頭を働かせなくても、テクニックでできてしまうかもしれないから。

――では、糸井さんにとって「じぶんのこと」とは何か。

 それを考えるあまり、逆に身動きが取れなくなってしまっては困るので、まずは「できないことを考えない」ということも大切。こういうときこそ動物のまねをすればいいと思うんです。つまり、あまり範囲を広げずに、家族だったり、一緒に仕事をしている仲間だったり、そういう自分の“群れ”の中でいま何ができるだろうかと考える。それが共倒れにならないためにすごく重要なことだと思います。

 最近、会社の人たちとリモート会議をしていて思うのは、社員はもちろん、アルバイトの人たちにも会社の先行きについて安心させてあげたい、ということです。

 その安心感をつくるためには、僕は手を洗って外出を控えたうえで、会社の経営のことを考えなくてはいけないんです。コロナをどう退治するのかという論争に加わっている1時間というものがもしあるとしたら、自分の会社のことを考えたほうがいい。そうやって「自分の群れを守る」という意識を持つことは、これからますます大切になってくると思います。

 ただ、正直に言うと、僕はいまちょっと楽しい部分があって。仕事が進まない分、目先のことであれこれ決める作業がすごく減ったので、前からやりたかったことがいまやれているんです。本の読み方にも余裕があるんですよね。いますぐに必要ではないからと取っておいた本が、いい感じで読めている。

 カミュの『ペスト』を読むのもいいけれど、僕としては“いまとかかわらない”もののほうがいいと思うんです。いまだけのことに振り回されないために、いまとかかわっていなくても成立していて、いつの時代でも通用するものを取り入れる。そのいい機会だと思うんですよね。

 個人的なことを言うと、以前ゴッホの展覧会を見たとき「やっぱりこんなにいいんだ」と感動して、ゴッホの本をいくつか買っておいたんですけど、全然読めずに置いてあった。それを最近読み始めたのですが、もうめちゃくちゃ面白いんですよね。もしこういう機会がなかったら、買っただけで一生読まなかったかもしれないのに、いまゴッホファンになっている(笑)。いつか必ず「あのときにあれを読んでおいて良かった」と振り返るときがくると思うんです。

 順調にワクチンの開発が進み、この新型コロナウイルスが「旧型」と呼ばれるようになって人々の日常に溶け込んだとき、果たして自分は何をしているのか。その未来からの視点で、いまの自分を見つめることが大切だと思います。

 自分の人生をちゃんと自分なりにやる、という原点のことをみんながやっていたら、それでいいんじゃないかな。

(構成/編集部・藤井直樹、三島恵美子)

※AERA 2020年5月4日-11日号より抜粋