北原みのり「政治とセクハラ、膿がどばどば」

北原みのり「政治とセクハラ、膿がどばどば」

 作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は、「セクハラ」について。

*  *  *
 性を巡り政治のぐずぐずが極まりつつある今日この頃。20年も前の話だけど、新聞記者の友人が、秘密を打ち明けるように言ってきたことがある。「取材相手に誘われることが多い。断るよりも寝るほうが楽な時が正直、ある」と。彼女が言うには、男たちは、まるでそれが長年守られてきた伝統かのように、あまりに自然に「飲んで話そう」→「二人きりになろう」となるらしい。最初は当然、戸惑った。でも、仕事を続けるうちに、「どうでもよくなる」瞬間もある。彼女が自力で取ってきたネタでも、「どうせ寝たんだろ」「女はいいよな」と男たちが陰で囁いていることは知っている。男は男たちで、全力で「犬」のように振る舞い、いかに取材先の秘密を握っているかを競っている。会社からは「セクハラごときでがたがた言うな」という圧もある。寝ても寝なくても、同じ。むしろ寝たほうが、仕事しやすい。そんな「環境」なんだよ、と。

 もちろん、全ての記者がそのような環境を生きているわけじゃない。それでも、福田事務次官(これを書いている時、辞意表明!)を巡り明らかになったのは、取材方法も、取材される側の意識も、「女の使い方」も、ずっと昔から変わっていないのだろうということ。

 この国は、政治の場から、権力の場から、決定権の場から、利権の場から女を徹底的に意図的に排除し続けてきた。女を権力から排除した上で、「母・妻」「セックス」「アシスタント」と女を使い分け利用し続けてきた。

 そもそも政府からして「男女平等」という言葉を使いたがらず、「男女共同参画」という変な日本語をつくったり、「女性が輝く社会」とか旗はあげるが、男以上に女を輝かせるつもりはさらさらない。セクハラ問題が起きても、これはハニートラップだ、と被害者ぶるのもお手のもの。権力は僕のもの、だけど責任は半々ね、と言われ続けた戦後73年。セクハラは環境だ。日本社会そのものだ。

 福田氏は辞意表明の際、「新聞記者の人とは(略)一対一の会合をもつこともある。ただし、あんな発言はない」と言い切っていた。敢えて「新聞記者」と言ったことに、福田氏の小ささを感じた。実際、彼が「手縛っていい?」などと言ったとされるのは「新聞記者」ではなく、「テレビ記者」だった。もしかしたら「報道ステーション」のような硬派な記者でなく、ワイドショー記者かもしれない。悪いヤツラが身を守る時は完全な嘘ではなく一部、事実を混ぜてくるもの。で、そんなセコサを堂々と剥き出しにしても出世できるのが、官僚の世界、ということなのだろうか。

 一人のセクハラ。だけどその背後を丁寧に見ていけば、日本の膿がどばどばと溢れ出るように見えてくる。膿出し切るにも時間がかかる。

 で、米山知事。政治家は聖人君子である必要はないと言う人はいるが、買春行為に疑問を持たない男の意識こそが、女にとっての環境問題だ。知事の資格はないと思う。

※週刊朝日 2018年5月4−11日合併号

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